検証 倉山満はなぜ闘ったのか 第6回

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 2010年6月、白川批判のボルテージが上がる。
 参議院選挙前に鳩山から菅で内閣が変わったというのもあって、政局ネタも多い。

 実はこの時、デフレ脱却議連は、インフレターゲットを民主党の公約に入れようと色々と活動していたところ。

 言ってもいい話だけ言うと、菅首相は意外とインタ実には理解があった。
 権力亡者なだけに、どうすれば権力を維持できるかを考えるので。
 ところが、仙谷官房長官が徹底阻止。

 当時代議士だった斎藤進さんなんか上念さんを取り次いでくれたりしたらしいけど、仙谷は財務省増税派(勝次官)の方ばかり向いていたなあ。

 この時、私は金子洋一参議院議員が当選しなければ日本は終わる、との危機感を抱いていた。
 その後変節する多くの人たちが、頓珍漢な行動をとっていたけど、算数できないのかな。
 そんなに千葉景子を落としたいなら、金子さんを応援しなきゃなんだが、変節保守の多くは金子さんの邪魔ばかりしていた。それに気づけたか、反省したかで大きく違った。
 その後の生き方が。

  
 特に6月14日の記事を読んでほしい。

 日本の自殺者三万人。
 日銀総裁白川さん。
 特アの代表白川さん。

 日銀の中に一人もスパイがいないと証明してみろ!

 努力しても報われない若者にこそ言いたい!
 我慢するな!
 あなたは日本銀行総裁の名前を知っていますか?
 あなたは白川方明が何を言っているか知っていますか?
 今まで言いたいことを言えずに我慢していたあなた!
 周りの人に、たった一人にでもこれを伝えてください。

 あきれるほど、その後も言い続けたことと同じ。(苦笑)

「検証 倉山満はなぜ闘ったのか 第6回」への0件のフィードバック

  1.  ずっと下がっていた給与があがったので、職場の人に「これもアベノミクスの結果です」と説明しました。その後、特亜の手先魔王前白川日銀総裁のデフレ、円高政策で日本の富がシナに渡ったこと、デフレで自殺者が急増したこと、この円高水準が1〜2年続けば海外から工場が日本に戻ってくることなども説明しました。この啓蒙活動が重要です。それと、テレビ、新聞を信じれば馬鹿をみることも!
    一人一人の啓蒙活動がやがて大きな実を結ぶ日が必ず来ると信じます。
     最大の問題は、知識を得るために「本代がかさむ」ことです。2年間の間にクララ本を初め100冊は軽く超えています。
    これも、偏向報道満載のメディアに騙されない私の国防・防衛費です。

  2. 倉山先生
    2010年の参院選、今でもしっかりと覚えております。
    最初は共産党候補にも負けるのでは?と言われていたところからの
    大逆転でしたね。

    あの時は、千葉をおとせ、と言いながら、金子は民主党だから信用
    でないと言って、絶対に当選する自民党候補や財務省OBで増税が公
    約のたちあがれ日本の候補を応援する保守を自称するバカが沢山い
    たので大変でした。

    やつらに対する恨みは一生消えません。

    それに対して、千葉さんの票を削って頂いた福嶋みずほ先生に
    対するご恩は一生忘れません。

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