検証 倉山満はなぜ闘ったのか 第5回

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 2010年5月、普天間のこともあり沖縄への言及が多い。
 そんな中、白川日銀への批判のボルテージが上がっていく。 

そして5月24日に記念すべき記事

日本の自殺者三万人。

日銀総裁白川さん。

 この日の記事見た宮崎岳志衆議院議員から、
「お前、あんなこと書くと、白川さん気が弱いから、あの人が自殺しかねんぞ」
と電話をもらった。
 ところが歴史が真実を証明したが、奴は弱者面した悪魔でしかなかった。
 これはリフレ派エコノミストの少なからずが言っているが、速水や白川は大量殺人鬼だったじゃないか。

 この日から、速水融や白川方明に殺されたり人たち、人生を台無しにされた人たちのための戦いが始まったのかもしれない。もしかしたら、私もその中にいたかもしれないし。

「検証 倉山満はなぜ闘ったのか 第5回」への0件のフィードバック

  1. 涙止まりません。ウチの甥っ子も犠牲者です。家族は今でも就職活動時の写真を見ては、 泣いています。

  2. 許さない! 白川方明、子々孫々まで許さない!
    置かれた立場からみて、同じスパイの尾崎秀実よりまだ罪が深い。
    政治・経済に疎い友人たちにも、その名を知らさしめようと思う。
    (スパイ・・・明白な証拠で証明出来なくても、限りなく黒に近い灰色です)

  3. >1
    甥っ子さんは恐らく、逃げることを教わらなかったのでしょう。
    「逃げるな!」「諦めるな!」「立ち向かえ!」
    こんなことばかり浴びせられて育ったのでしょう。
    だから、超えられない壁に遭遇したら、自殺するしかない。

    倉山先生は増税戦役で死闘を命じ、敗戦後は休養期間を置いた。
    これが人生ではないでしょうか。
    頑張った後は、結果はどうあれ、お疲れ様、しっかり休んでね。
    これが人間ではないでしょうか。

  4. 数年前に先輩が砦の記事をコメント欄も含めて全てプリントして持って来て下さいました。そこに書いてある事、交わされる意見全てが 情弱だった私の目を覚ましてくれました。追いつめられて死を選ぶしかなかった人々の無念が倉山さんを通じてひしひしと伝わり、ユーチューブで倉山さんが「死なないで下さい」と絞り出す様にして呼びかけておられるのを拝見して、毎年3万人もの日本人が死を選ばざるを得ない日本の状況を変えるべく倉山さんは立ち上がられたのだなあと
    改めて実感し、それ以来ネットを使った私の勉強の旅が始まりました。
    安倍さんになり白川が討たれ日銀のスタンスが変わり景気が上向いてきたからこそ非正規であっても職を得る人が増え、自殺者が減った事に間違いはないと思います。3月と6月の日銀委員の交代がうまくゆきますように、日銀法に雇用最大化の目標を入れる改正がなされますように、そして日本人による日本人の憲法が一日も早く出来ますように願ってやみません。

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