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TBS版「官僚たちの夏」は来ない

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環境ファシズム万歳?! 学歴秀才に栄光あれ?!

と思わせられる視聴感だった。やはり歴史歪曲によって池田勇人を貶めていた。

 いよいよ風越一派の特定産業振興臨時措置法(番組では「国内産業保護法」=原作の「指定産業振興法」)をめぐる政官界の派閥抗争が本格化する。池内総理(池田勇人)に取り入る玉木派VS須藤通産大臣(佐藤栄作)を担ぐ風越派、という構図で、公害対策やら予算折衝やらありとあらゆる政策が絡んでくるのだが、単純にいえば「玉木と風越のどちらの政策を採るか」という醜い派閥抗争である。結果、総理に直接取り入って自分の政策に関する予算だけを獲得した玉木が、直接の上司である通産大臣と事務次官の怒りをかい報復的に左遷されるという話である。

 今回は、風越らも玉木らもお互い様である。次から次へと自分の主張に都合の良いデータを提供してくれる学者を連れてきて相手を論破しようとする、というのは霞ヶ関の情景を丁寧に描いているとは言える。しかし、日本を思う熱い官僚を描くのが謳い文句では?

 こいつらが理想の官僚か?

 ちなみに、日本の特殊事情に関して。欧州だと学者の地位が高く、政府の大臣や官僚は「何が正しいか」を聞かせてもらうために、名門大学の教授をお呼びするのである。古くは小ピットが閣僚全員でアダム・スミスを最敬礼で迎えた伝統である。しかし、日本では官僚が自説を補強するもっともらしい権威として学者先生を呼びつけるのである。大学教授の方も、官僚から情報をもらって喜んでいる有様である。どことは言わないが、政府の審議委員や何かの肩書きをもらえることを無上の喜びとする方々が多数いる大学がある。嘆かわしい。

 さて、本題。池田勇人の描き方に対して、佐藤栄作の悲劇のヒーローぶりは何だ?いつから佐藤はひ弱なインテリになったのだ?予算編成で総理と衝突したくらいで打ちひしがれるんだ?原作では、激昂する風越を「政治判断だ」と軽くいなしているので、異様である。

 史実では、確かにこの頃から池田は佐藤を警戒し、佐藤派の番頭である田中角栄を大蔵大臣に起用するなど、佐藤への牽制をはじめている。対する佐藤の態度は「俺が総理にしてやったのに」である。池田が佐藤を一方的にいじめていた、などということはまったくない。むしろ、池田死後にその派閥を継いだ前尾繁三郎に対する佐藤総理の仕打ちこそ、恫喝・裏切り・いじめのオンパレードなのだが。池田の貶め方と佐藤への同情が異様である。

 なお、公害対策の話は前回に続き原作にないので、やはり架空の話。ただ注目すべきは、かの暴君風越信吾様も、環境問題の前では金縛りにあったように、「どいつもこいつも騒ぎやがって」との自説を撤回してしまう。

 最初は、公害問題を取り上げた仲間の御用記者を風越一派でつるし上げていた。庭野に至っては「非常時だ!」とまで言い切る。戦争映画の悪役憲兵か?しかし、風越信吾様も家まで押しかけられると考えを変えてしまう。今回の風越、妙に物分りがよい。

 今の受験界では「自然」「環境」は絶対の善の価値観である。神にも等しい「環境」の前では、「高度経済成長」や「科学技術の進歩」は悪魔化すらされる。実は学歴エリートの風越が環境問題の前に金縛りになるのは不思議ではない。この風越の態度、むしろ作り手の意識の反映だろうが。無論、環境問題を口にした途端に左翼呼ばわりするのも極端である。しかし、「企業=資本家=悪」というマルクス主義の価値観が支配的で、環境問題がその道具として使われた事実も忘れてはなるまい。

 別に池田勇人だって公害対策に無頓着だったわけではないのだが。高度成長と環境問題を二者択一のように扱うのはおかしいし、公害問題を強調しすぎて池田勇人の功績を否定するのもいきすぎだろう。教科書や試験問題などの、受験界ではそのようにおかしい記述になっているが。

 

 ところで、この番組、いまだにノンキャリアが一人も登場しないのだが、どうしてだ?

 ちなみに主要登場人物、全員東大法学部出身です。吹石一恵演ずる山本真(坂本春生)のみ経済学部。池田勇人は京大法学部出身なので、かなり差別された。佐藤栄作は東大法学部から運輸事務次官。

 これは重大な問題なのであえて問う。 

 日本のことを考えていたのは東大法学部出身のキャリア官僚だけか?

※一般的な「環境ファシズム」の「ファシズム」は「全体主義」の意味だろう。本来の「ファシズム」はそういう意味ではないので、注意。