高名な法学者である篠田英朗先生に取り上げていただきました。
基本的には好意的に取り上げていただいていると感謝しているのですが、私の真意をより正確に伝えたいところもあるので、箇条書きで残しておきます。
「倉山氏は、アメリカが起草した現行憲法を無効と考える」
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本来ならば無効と考えますが、さすがに現時点では成立しないでしょう。
憲法制定の法理は、どの説も欠陥があると考えています。あえて法的整合性だけを考えれば追認説だと思いますが、この説とて、日本国憲法の意義(なぜ日本国憲法が日本国の最高法なのか)を積極的に説明できないという欠陥を抱えていると考えています。
「そこで倉山氏は、「日本語としてのウェストファリア体制」は1907年に確立された、と語る。(中略)ヨーロッパ公法が、大日本帝国の参入を得て、遂にヨーロッパを超えた国際法になった瞬間が1907年だった」
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この部分は、条件を極端に限定した反語という前提でお読みください。本全体の趣旨は、「戦争」が存在したウェストファリア体制は1648年から1945年の人類史のあだ花だった、です。
「このウィルソン以来の「国際法の構造転換」が、すでに発生してしまった事実であることを、倉山氏は知っている。知ったうえで、それはダメなことだった、と倉山氏は断じている。
この主張は、学者にはできない。現代国際法は狂人が作り出したおかしなものだ、とは、とても学者では言えない。」
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我が意を得たりの文章です。
本職の国際法学者では言えないことを書かねば、私が国際法の本を書く意味はないと思っています。
その後、スレイマニ殺害事件の考察を通じて、
「新しい対応策が必要になっている。だが、それでも自衛権を否定したり、ヨーロッパ公法の復活を唱えたりすることが、現実に可能だとは思えない。現代世界の国際法秩序を強化しながら、新しい対応策を考えるしかない、と私は考える。」
とおっしゃっているのは、具体的には述べられていないので賛成も反対もできないです。
現状(現実ではない)の国際秩序を考えれば、既にウェストファリア体制がここまで崩れ、国際連合体制の秩序が75年も続いた以上、いきなりヨーロッパ公法の時代に戻すのは無理でしょう。「いきなり」、は。
篠田先生も認めておられるような野蛮な国際秩序で実務家として弥縫策を続けていくだけで良いのか、あるいは三十年戦争を最後にヨーロッパで千三百年以上続いた「殺し合い」をやめさせ少しでもマシな世界を構築したグロティウスのような志を訴え続けるのが学者としてあるべき姿なのか。
お忙しいのでしょうから急ぎはしませんが、一度じっくりお話をさせていただければとは思います。この話は公益性があると思いましたので。
中世ヨーロッパの戦争が貴族の趣味、見栄と外聞や欲望のために行われていたという感覚は日本人にはあまりないだろう…
人間将棋で本当に人を殺し合うバージョン、、
特に欧州先行史(ヨーロッパは世界で最も文明が進んでいたとする価値観)では、「アジアでは日本が唯一欧米文明国に追い付いた。」みたいな表現をする。
趣味で戦争すると経済的損失も莫大だし、貴族自身も死ぬこともある。
見栄やプライドのために戦争をすること(実際に皇太子の嫁はブスだという発言が戦争原因になったりした)は止めよう。
国益、すなはち、領土や経済的貿易権の侵害があった場合に戦争原因とする。
また、戦争をしたい場合、その理由となる領土侵害や経済妨害を敵国に示し、それを止めない止めようとしないときに戦争してもいいということなんだろう、、
「日本がその体制に(半ば自主的に)組み入れられた。」というよりも「そういう野蛮国がある意味平和だったアジアに侵出してきて、(半ば強制的に)取り込まれた。」という感じなんだろうかな!?