下記、倉山塾掲示板での投稿。
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問題
あなたは西浦博です。
毛沢東思想にかぶれた総理大臣を説得しなければならないとします。
西浦(あなた)
「コロナ禍で何もしないと42万人死にます!」
毛首相
「たったそんだけ?じゃあ、経済を止める理由はない。
420万人とか4200万人だったら考える。
あるいは経済に影響が出るような人数になったら考えるが、
その人数は何人だ?
まさか1人でもコロナの患者がいる限り大変ですとか
言わないよなあ?」
さて、あなたが西浦博士の側に立って、
数字付きで説明できるでしょうか?
出題意図
初動ならいざ知らず、現時点でコロナを根絶は誰の目にも不可能です。
また、1人でもその病気で死人が出るから経済そのものを止めるなど政治ではありえません。
そもそも、政治が医療に向き合う時、
「何人の死ぬ人を助けるために
いくらの予算をかけ、必要な措置を講じるか」です。
コロナ禍がどれほど深刻なのか、
冷静な議論が社会的に許されない中だからこそ、
根本に立ち返ってタブー無き議論を試みたいと思います。
如何?
年金と医療費を浮かせるために、あえてなにもしないと言う腹黒い回答もありですか?
総理、何もしないとあなた以外全員感染します!w
10歳別の罹患率と死亡率(できれば国籍)が分からなければ無理でしょう。医療の裏基本は病人を社会復帰させて金を回させる事、若者も老人も同じ。地獄の沙汰も金次第。
DP号乗り込みで時の人になった某岩田氏は0までって考えてるっぽいが、根絶させたやつなんて数える程しかないのだから、そんなこと現実的ではないと思う。
費用対効果のポイントをどこにするかってことですよね。
自殺対策の予算を1割増やしたら自殺率も1割減ったからといって予算を10割増やせば、自殺が0になるわけじゃない。
予算のつけ所としては、同じように飛沫感染するウイルスがアウトブレイクした時の対策と予算くらいで開始して、予算などを増やしても感染者数や死亡数が鈍化したらそこを維持する感じで。
実際の治療現場が分からないけど、そもそも全重症例に呼吸器とかエクモとか必要なのかという疑問がある。もし使用してなかったらスルーで。
コロナ禍以前に平均寿命を超えた高齢者がインフルエンザ等で重篤な肺炎になり薬や点滴や酸素投与しても良くならない場合に全症例で呼吸器使ってただろうか。すくなくとも在宅や特養などの施設ではそのまま寿命で片付けてたはずだが。
死者数は一気に増えるかもしれないけど、それだとやはりダメなのかな。
毛沢東なら逆に経済止めて4200万人餓死させそう
自分たちの保身が最優先なので不特定多数で感染が蔓延するほど毛首相とその取り巻きにも危険が及ぶこと、年齢、既往症での死亡率を出すというのは?
毛氏が老人と基礎疾患持った方以外の重症化率が低いことより、生産年齢人口にあまり影響を与えずに、年金財政が改善するとか考えているとすれば手の打ちようがない。
逆に「何かやって20万人までなら国民も許容出来る」って言って、仕事してますアピールするかな…
暴論だけど
経済重視で流行病を観る総理なら同じく経済の土俵で感染対策の話をするのが現実的かなと思います。
1.感染者拡大による不安増大で経済が麻痺する程度を示す。具体的には他国のデータを使い倒産数、失業者、自殺者の推移が対策不備によりどれだけ増えるか。(経済政策を推進してれば増えないかと思われますが、結局は感染者の数が増えれば人々は感染を恐れ、経済活動が萎縮していくと考えています。)
2.感染対策としての措置は、医療現場特に人とベットの拡充を重視します。入院させる人は重篤患者以上で自覚症状のある人は通院にしてもらう。人々の心を”感染したら最悪”から”感染しても健康なら幸い”に変えていく。
最悪、重症化しても病院行けばすぐ治療が受けれる状況と思わせれば不安や混乱による社会の機能不全は防げると思われる。
人命を軽視した経済偏重や経済を軽視した人命至上主義でも、まずは人心鎮撫を目的とした政策提案をしていきます。
コロナを防いだという中国の意見を出し、感染者数を0にすれば(又はほとんど0にして残りの患者を封じておけば)コロナにかかる心配をして経済が停滞することもないですし安心した人民共は今まで引きこもっていた鬱憤を晴らすように散財して経済も回りますよ。我が国は島国ですから入国者を2週間完全隔離しておけば外国から患者がはいることもないですし、事実台湾の例がありますから島国なら防疫が可能です。今患者を0にして人民に強制的にワクチンを撃たせれば日本でコロナにかかると思う外国人も減らせますしオリンピックも十分可能です…
(まぁこれだけ感染が広がっているのに0にすること自体が無理だとは思いますが)