良書評を紹介します。
「良」の基準は、私への賛否ではなく、
書いたことを読み取ってくれているか否か。
前衆議院議員の宮崎タケシさんが.
発売当日に購入してくださったそう。
ありがとうございます。
ツイッターにもありますが、FBの方が詳しいので、そちらに基づいて。
保守論壇(とネトウヨ)がなぜ脚光を浴び、かつ何事も為し得ないのかを解き明かした史書
とは「我が意を得たり著者冥利」の褒め言葉として受け止めます。
星の数ほどあるこの本を書いた動機の一つが、
「宮崎さんで、その認識ですか?」というくらい、
事実が伝わっていないこと。
もっとも、宮崎さんからしたら
ネトウヨやそれに類する「保守文化人」は、正面から相手にするほどの存在とは思えない。
から、事実が伝わらず誤った認識になるのだけど。
だから私は、淡々と事実だけを書いた。
宮崎さん曰くの
筆者がこぼす「保守ギョーカイへの愚痴」
は読み取ってくれた部分。
私としてはジャーナリスティックにけっこう突き放したつもりです。
さて、本書の趣旨は
わが国の言論が「反・安倍」vs「反・反安倍」という、思想的に何の意味もない安倍晋三前首相個人への好悪で左右されているのは不毛でしかない
です。
だから「パヨク」への批判本でもあります。
現代史に至る部分は、公益性が高く私しか知りえない部分を重視したので
どうしても杉田水脈さんの話が分厚くなりましたが、
発売日当日に炎上するとは・・・。(脂汗)
・本人に悪気はない。
・支持者に常識が無い。
・批判するパヨクが頓珍漢
が、まさに目の前で繰り広げられているという。
まあ、私としては自分の言説が真実であると周知されるのは良いのですが、
まあ何とも複雑な気分です。
そのfacebookに書いた『保守とネトウヨの近現代史』(倉山満著、扶桑社新書)の書評はこちら。この本を読めば「なぜ杉田水脈議員は炎上を繰り返すのか」が理解できます。保守派の論客・倉山君の「オレをあいつらと一緒にするな!」という魂の叫びが聞こえる一冊。https://t.co/WcjBiXZ2li https://t.co/htWkROk2TA
— 宮崎タケシ群馬県議・元衆議院議員@維新 (@MIYAZAKI_Takesh) September 27, 2020
杉田氏は慰安婦問題で国連まで乗り込んだことで、目をつけられたのかなと思っていました。一方過去のチャンネルくららで一線を超えた見解を述べたりしてちょっと危なっかしい人だという印象もありました。
身近なところでも杉田氏=ちょっとアレな人みたいな感じがあったりしてもうちゃんと大事な話を聞いてもらえない状態になったのは残念に思います。
杉田水脈議員の章を読みました。
自分泣いて良いですか?
倉山先生が献身的にフォローしてるのに
杉田議員の言動はどういう事をなんでしょうか?
あまりといえばあまりではないでしょうか
怒りを通り越して泣けてきます
最終的には、本人の資質、としか言いようがないですよね、悲しいかな。
アタシも昨日、書店で購入して、帰ってから一気読みしたんですけど。
杉田議員に関しては、「自分がない人」という印象を受けました。国連にまで乗り込んで、強い人ではあるんですけど、「自分がない」んですよ。
日本のために、国民のために、支持者(ネトウヨ含む)のために、親のために、といった具合に、「誰かのために」動いているのであって、「自分のために」がない。
一見、公人の「私がない」と同じに聞こえて、良いことだと思われるかも知れませんが、同時に、「自分を守る」という意識の欠如にも繋がります。こういう人って、「周囲に自分を利用させてしまう」んですよ。自ら差し出しているんです。
だから、倉山先生のように、「杉田さん自身のために」と考えて下さる方のご厚意を、無意識にスルーしてしまう。需要と供給の面で、マッチしていないからです。それだけ気付けないってことですね。自分の中にその意識がないから。
と言いますか、杉田議員の場合、「自分がない」からこそ、政治の世界に進出したんでしょう。出世欲とか権力欲とか、そういった上昇志向が動機にあるとは思えません。でも悲しいかな、政治の世界では我の強い人間のほうが生き残れるんです。