安倍晋三が蘇我入鹿と並んだ日

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誰も言わないので、あえて言う。

安倍晋三が“皇室に弓を引いた”蘇我入鹿と並んだ日…「上皇后」とは?

譲位の件、褒めた途端にやらかしてくれた。

安倍内閣には歴史の専門家が一人もいなかったのか。

事実を並べ、評価を問うた。

安倍内閣にケチを付けるアンチはどうでもいい。

アンチにケチをつけていた応援団の反論こそ、待つ。

「安倍晋三が蘇我入鹿と並んだ日」への3件のフィードバック

  1. となっては、
    御所はなんと呼ぶんだろうと率直に思いました。
    つまり「大」とかの文字削るのかな。。(失礼、逆にクイズみたいでどきどきワクワク考えちゃいました。)

    僕は陛下と呼ぶことすら抵抗を感じる人間なので
    (人前で天皇と言うのはさすがに憚れるし、だけど平々民の自分が陛下なんてつけるのもおこがましいし。。他の尊称だと通じないしアホみたいだし。。と都度0.5秒ぐらい思案します。齢何十年未だに)
    そのうえで申し上げますが

    倉山さんがおっしゃることは誰かが言わねばということなのでありがたく思いますが
    僕は、このたびの「皇太后」ではない件については
    首相が参内してご相談の上(←ここまでは絶対にしたはず。してなかったら入鹿どこでは無いっすよ。あわわわ。)、「太后」ではない言葉としてお選びなさったのかなと個人的に期待を持って考えています。

    倉山さんがこの度、他の野党党首野田(じつ)とかではなく「首相は~」っておっしゃっているということは
    参内しご相談した人が首相でありながら結果「新義」を打ち立てたということを問題となされている ということだと僕は捉えました。(票とか審議とか違うし。)
    そのうえで申し上げれば、この度の新義のことも
    御皇室が東に下って頂いた以降、(いわゆる皇紀(?)に比べれば)短い期間ながら驚天動地なことがたくさんあり
    先の戦争からの許しがたいけれども受け入れざるを言えなかった、また今受け入れざるを言えない事の一つなのかなと僕は思います。

    で、しょうがないかな~っ。ていうのはダメですかね?

    つまり
    「太后」という言葉を手に入れた現行のマスコミが無邪気に上気して使いまくって、飽きたら落とすってのを少しでも危惧したのかな~というのが
    法理的な考えではないけれども現実としての率直な感想です。

    腹背関係なく、また確実に言えることは
    この度の新しい「新義」について著名な人は 倉山さんしか指摘なさっていないこと、そしてそれに倉山さんだけに気づかされたことにさびしく思います。

  2. 倉山さんへの要望。
    この度のご譲位、なされた暁には言祝ぎ頂ければと思います。

    歴史に残るのをドカーンと一つお願いいたします。m(_ _)m

  3. 蘇我入鹿ですか、倉山先生の歴史感には脱帽ですね。
    安倍内閣は最近、そう言う意味でバランスを欠いてきたと思います。バランスと言う意味では率直に申し上げて、私はこれから遷都の動きが実現すると考えております。維新は明治維新で終わりであったのか?違います、本当の維新は関西の南朝の地に帰って完結する。つまり後醍醐天皇の南朝が南関西に新都として復活するという事です。東京中心の体制はおおよそ800年前の鎌倉幕府以来のものであり、それが極限に達していきていると思われてなりません。北朝の室町幕府は関東の関西支配でしょうし、そこから江戸幕府も関東、明治政府も関東、そして東京集中が極端化してきている。800年前のさらにその前の800年は関西のが中心だった訳でどうも、これから関西での政権を復活していく名誉革命みたいなのが起こりそうな気がしてなりません。世界史では東西文明800年周期説があり、日本の政権も西欧優勢は東へ、アジア優勢は西へ移るそういう関係性があるのかもしれませんね。そういった意味では倉山先生が太平記などを取り上げられているのも偶然ではないと思っております。ともかくいま日本の政治の腐敗は東京のみが政権を担えるという傲りが慢心を齎していると思います。真の政権交代は権力が東から西へ北朝から南朝へ移る事ではないでしょうか?後醍醐天皇の遺志を継ぐことこそ維新でありましょう。

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