「三種の神器」絶対論者への疑問

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三島由紀夫曰く。

「玉体よりも三種の神器が尊い」

これを金科玉条の如く考える奴がいるし、しばしば右翼気取りが天皇陛下をないがしろにする方便にも使われてきた。

私も三種の神器が大事ではないなどと言うつもりはないけれども、天皇陛下を蔑ろにすることも許されるほどの価値があるとは思えない。

そこで「三種の神器」絶対論者への疑問。
まず、事実。
(南北朝は年号が乱立するので西暦表記)

1336年
後醍醐天皇、足利尊氏と和睦し、帰京。
この時に三種の神器を譲渡。

直後、吉野へ脱出。
後醍醐天皇「あいつらに渡した神器は偽物だ。本物は手元にある」と声明。

1351年
正平の一統。足利尊氏と南朝の和議が成立。
南朝、「あの時に渡した偽物の神器は回収させてもらう」

1392年
南北朝合一。
南朝より北朝に、三種の神器が譲渡される。

ここで疑問。

現代に伝わる神器が、北朝に一時的に譲渡されたものではなく、南朝がずっと保持し続けていた本物だと立証した人、いるの?
 

 

「「三種の神器」絶対論者への疑問」への3件のフィードバック

  1. 何となれば「夢を見て」”本物”を新しく作れるんじゃないですか。

  2. であるなら、「禁闕の変」も「長禄の変」も起こらずに済んだ事件でごわすな?
    う~ん・・・(‘・c_・` ;) 悩・・・

  3. 左がかった(not保守)民族主義者(倉山先生の本やクララ等で勉強中) より:

    天皇制というのは、古代においては王政だし(だから暴政もあったと思う(民のかまどの伝説が言い伝えられる裏はそれが例外的だったからなのでは))、中世においては権威の象徴だったので、神器よりも系統が続き、日本文化の一部であることのほうが大事と思う。
    だから、イギリス王室のように、天皇や皇室、公家も品格・教養が問われると思う。タイ王室のように非常時に求められた時のみにアドバイスや採決権を行使できれば尚よし。明治憲法はそういう点は良かったと思う。(だから実質的に昭和天皇に戦争責任はない。軍部大臣現役武官制は×、陸海軍部大臣制も×。軍が内閣に入ったら予算獲得に走るのは必定、統合軍で防衛戦力規模を決めるのは政治)

    国民の手本になれる行為言動であれば、三種の神器は必要なし。(間違っているかもしれなせんが、自分の意見としては)

    226や515のようなクーデータが起こったのも経済悪化によるものだから、亡国パヨクを滅ぼすためにインフレ目標4%上昇とマイクロBIのような再分配強化が必要なのではないかと思う。(ここは左だが)

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