権力と先例 第33話 藤原道長の限界はどこにあったか(倉山塾メルマガより)

LINEで送る
Pocket

好評発売中!
『参議院』 (光文社新書)

—————————————-

そろそろ政界の夏休みも
終わりに近づいているので、
連載を先に進めます。

秋篠宮は皇太子じゃない!
とか言い出す人いるけど、
そらあ皇太弟でしょう。(微笑)
今日お話しする先例をしていれば
変な事実誤認をしなくて済む。

第63代冷泉天皇と第64代円融天皇の兄弟より
両統迭立が始まります。
父子継承が無く、
叔父・甥継承や従兄弟継承が続く。
これをやると、二つの直系が生じ、
血縁が遠くなる。
また、二つの皇統も、さらに二つに割れていく。

西暦967年、醍醐天皇から
冷泉天皇が皇位を継承したのを最後に、
父子継承が絶えてしまいます。
これは皇統の危機です。

とはいえ、当時の人々がどこまで自覚していたか。
980~1011年に在位した一条天皇の御世は
あらゆる権力闘争を勝ち抜いた、
藤原道長の絶頂期。

清少納言や紫式部が活躍した時代でもあります。

道長は娘の彰子を中宮に押し込み、
彰子は男の子を次々と産みます。
彰子に仕えたのが紫式部。

ちなみに清少納言が仕えた定子は
兄の伊周らが失脚したこともあり不遇。

さて、一条天皇の東宮は居貞親王。
天皇より4歳年上。
皇太「子」ではない。(苦笑)
父子継承ができない場合、こんな変なことになる。

—————————————-

続きは倉山塾メルマガで。18時配信
https://kurayama-school.com/

—————————————-

第11回倉山塾教養ゼミナール@九州山口「平和を望むなら軍事を知ろう!~歴史から紐解く令和の国防~」
https://kurayama.base.shop/items/73625535

倉山塾ショップです。
https://kurayama.base.shop/

—————————————-

倉山塾生スポンサー番組!
外国人君主制に?!皇室に「先例」が大事な理由 皇室史学者倉山満 月刊カレントライター佐々木大輔【チャンネルくらら】

—————————————-

倉山満の著作一覧です。

著作

発売予定早まりました!
『決定版 皇室論 – 日本の歴史を守る方法』(オーディオ)
https://www.audible.co.jp/pd/B0BWRYGH6H

「権力と先例 第33話 藤原道長の限界はどこにあったか(倉山塾メルマガより)」への1件のフィードバック

  1. 以前、「准皇太子」という造語を発明した方が、コメント欄で叫んでいらっしゃいましたね。「秋篠宮様は皇太子ではない。いったい皇嗣とは何なのか?!」……何をどう諭しても、ご納得頂けませんでしたが。

    明白な答えが、皇室典範の中にありました。
     ↓↓↓

    第一章 皇位継承
    第四条 天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する。

    ……次期皇位継承者(継承権第一位)のことです(^^;

    ※参照(↓)
    昭和二十二年法律第三号 皇室典範
    https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=322AC0000000003

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA