斉藤代議士のご活躍

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 昨日は外交官の先輩と永田町でしゃぶしゃぶ。
 珍しく同じ大学のOB&OGのみで、政治家が一人もいなかった。
 しかし終電近くになり、先輩命令で(←ここ重要)、代議士に電話。
 その内容、ここ最近のニュース裏話なので砦に書きたいけど、いくら良い話でも現在進行形のことは書けないので、ボツ。
 ということで、代わりに別の話をご紹介。

 夜中23時45分に電話をかけて、嫌な声一つせず応対してくれたのが、静岡八区選出の
斉藤進先輩
 私が大学一年生で中央大学の弁論部・辞達学会に入ったときの三年生で幹事長(要するにリーダー)。
 ちなみに、弁論部というのは、体育会系イベントサークルです。
 みんなで一升瓶をラッパ飲みしたり、池に突き落とされたり、竹刀でド突かれたり、スーツのまま海に入ったり、、、
(何をしている人たちだ?当時、真剣に疑問も、「ま、いいか」で終了)
 で、中央大学の弁論部に限っては、創始者の花井卓蔵という戦前の有名人で偉い人が論語にちなんだ名前をつけたので、私は自己紹介で大学名を名乗ることが無かった。
(学歴社会?何それ?)
 で、会長は教授なので、学生のリーダーは幹事長を名乗る。
 私にとって斉藤先輩は永遠に幹事長なのです。
 え?小沢?枝野?岡田?誰それ?
 今から、「将来、総理になっても幹事長と呼びますよ」と宣言してます。
(大迷惑?)

 さて、本題。斉藤先輩のブログが以下。
http://saito-susumu.jp/

 その中でも注目が、4月23日のエントリー。
 ズバリ、

被災地入り 福島県南相馬市 原発警戒区域(立入禁止区域)内へ

 何となく流し読みしてしまいそうですけど、南相馬市長との会話、つなげるとすごいですよ。

「よく今日来てくれた!瓦礫の撤去とか遺留品のボランティアではなく国会議員にしか出来ない本当のボランティアをやってほしい」とのこと。

 お話をお伺いすると、「昨日から、福島第一原発の20km圏の警戒区域(立入禁止区域)に南相馬の半分が入ってしまったが、酪農家や畜産業者から餌を牛や豚や馬にあげるために立ち入りをさせて欲しいという話があるが、現状がどうなっているのかわからない。国会議員の調査であれば立ち入ることが出来るのではないか。これまで1ヶ月間、避難指示が出て、業者の方々が家畜をそのままに別の地域に避難したという話もあり、牛舎や厩舎、豚舎を確認してきて欲しい」とのことでした。
そういえば、先ほどから畜産業者らしき方が市長に対し、激しい口調で詰め寄る場面がみられ、気になっていたところでした。
 私の「1ヶ月間、市の職員の方は現地を確認していないのですか」との問いに、部長からは「避難指示の出ている放射能の危険があるところに部下を行かせるわけにはいかない」との返事でした。とにかく事は急ぐので、国会議員として調査をすることを決め、その上で業者の方には現地に来て頂くことにし、防護服もないまま、同僚の高邑勉議員と市の2人の職員の方と原発から15kmの現地に車で向かいました。

 要するに、地元の人が家畜のことが心配だけど放射能が危険で帰れないので、代わりに飛び込んだ訳です。

 で、その後に家畜の死骸や野生化した動物の生々しい写真。
 農家の人のために一軒一軒確認していったら、そこには阿鼻叫喚の地獄絵図。。。
 生き残った牛にエサが届くように、必死に飼料をかき集めたそうです。

 豚の共食いと、生き残った豚の凶暴さ、、、
 目を背けちゃいかんけど最初読んだときは、、、

いずれ出荷される運命だったとはいえ、このような命の終わり方はあまりにもひどすぎます。ここで合流した畜産業者の方はこの現状を前に茫然自失とし、ブランド豚として育て上げたその誇りさえも崩れそうに見え、この度の事故が放射線の影響だけでなく、人々の心や人生、動物たちの運命をも翻弄していることに胸が痛む思いです。

 本当、そうだよー。(もはや表現力放棄)

 で、2時間制限のところを、3時間もいることに。
 ガイガーカウンターが鳴りっぱなしだったとか。
 結論的には無事で何よりですが。

 こうした現地での活動報告を基に、警戒区域内の家畜に関する方針が決定。

 今回に限り批評はせず、読者の皆様のご感想にお任せします。

 というか、行動の記録を読むだけで十分でしょう。。。

 それはそうと、深夜にご迷惑をおかけしました。(ペコリ)

「斉藤代議士のご活躍」への0件のフィードバック

  1. 齊藤代議士のご活躍と、南相馬の被災後の状況。
    出先で拝見したのですが、電車の中で思わず涙がこぼれそうになってしまいました。
    多くの方に伝えようと思います。ご紹介くださいましてありがとうございました。

  2. 酪農牛の中には殺処分された牛もいましたが、牛も殺されるということがわかったらしく、悲痛の鳴き声だったそうです。酪農家も泣きながら牛を送り出したそうです。
    読んで目眩がしました。

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