注意:わからない単語があっても気にせず読み進みましょう。
どうしても気になる場合は、本を読んで調べましょう。
それでもわからない場合は、倉山先生に質問しましょう。(普段の講義風景)
昔、松岡洋右という男ありけり。
アメリカ(※1)留学の後、東京帝国大学の勉強は外交官になるのに役に立たない、と独学で試験勉強をして受かった。首席合格とも語学ができただけとも言われるが、この一次史料(※2)は外交史料館でも非公開なので私はよくわからない。
ヴェルサイユ会議(※3)では、日本全権団首脳のあまりの無能ぶりにキレて、辞表を出してしまう。ちなみにその時の首脳とは、西園寺公望と牧野伸顕、昭和初期の元老と内大臣である。
でも当時の首相と外相に比べれば、はるかにマシである。原敬と内田康哉。
日本の国策企業(※4)の南満洲鉄道株式会社(※5)に就職(※6)。さらに政友会から代議士に立候補して当選。「満蒙は日本の生命線だ!」との絶叫演説で大人気に。日本中から偏った意見の持ち主だと思われて、後で自分の首を絞めることに。
第一次上海事変(※7)。現役代議士でありながら、中華民国との交渉に駆り出される。
そして、本当に伝説的な交渉術で講和を纏める。
上海事変での交渉術(英語)と、幣原批判の絶叫弁論術(日本語)が評価されて、ジュネーブ日本代表に。中国人と英語ディベート(※8)して勝てる人材、ということで数少ない外務省の有能な人材(※9)は既に他の仕事をしていたので、白羽の矢。
やる気のない斎藤首相とハチャメチャな訓令ばかり寄越す内田外相に苦悩しながら仕事をこなす。というか、何で内田がまたも外相なのだ?(しかも三回目。新記録更新)
実はこの時の松岡は
「連盟を脱退したらやばいでしょ?というか、なぜ戦闘で勝っている奴が外交で不利になるの?」と東京の政府の無能さに大いに疑問。
それでも、即興で「十字架上の日本」演説を行い、国際連盟加盟国の嵐のような感動と交戦相手である中華民国の動揺をもたらす(※10)。ところが、みんなでよってたかって、話をぶち壊す。失意の松岡、米国などをまわり、「日本語で最も美しい言葉でお別れしたいと思います。SAYONARA!」などとまたもや特技の演説で話題となる。「サヨナラ演説」と呼ばれる。
国際連盟脱退などと、外交の定跡をはずれるにも程がある大悪手の当事者として、日比谷焼き討ち事件の小村寿太郎以上に国民に嫌われているはずだと覚悟の帰国。ところが、なぜか大人気(※11)。朝日新聞、様サマでした。
代議士を辞めて政党解消運動に乗り出す。
「私は別に政友会に恨みはありません!ただ今の日本では政党の解消が必要なのです。
もし時局が変わり、どうしても政党加入が必要ならば政友会を選びます!
間違っても民政党みたいな官僚臭がプンプンするような政党には入りません!」
お前が言うな!
しかし、古巣の満鉄に戻り、ユダヤ人救出などに尽力。
この時「ヒトラー如きなり上がり者が皇国に指図するなど永遠にありえない」と発言したことは生前は伝わらなかった。
強い政治家を求める風潮にのり、近衛内閣の外相に。
「松岡旋風」と呼ばれる、外務省史上空前絶後の大粛清人事を敢行。
「よくぞあの無能者どもを追放してくれた!」と、良識派(※12)の喝采を浴びる。
次いで、
「松岡人事」と呼ばれる、外務省史上空前だが絶後ではない意味不明人事を敢行。
「よくぞここまでの無能者を連れてきてくれた!」と良識派の大顰蹙を買う。
外相として、日独伊三国同盟+ソ連=ユーラシア大連合構想
を実行に移す。
挑発を繰り返す米国に対抗しようとしたらしい。
この頃、「近年まれに見る大きな仕事をされている大政治家ですね」とのおべんちゃらに
「三国同盟など、宇宙の歴史に比べれば小さなものですよ」
と答える。
お前が言うな!
結局、ヒトラーがソ連に対し謎の宣戦。松岡構想はあえなく崩壊。
昭和天皇に上奏して「今こそソ連を攻めましょう」などとパワーポリティクス剥き出しの発言で呆れられる。
最後は米国の「あいつが外相なら交渉しない」という内政干渉剥き出しの圧力に近衛首相が屈服。というか、近衛も東条英機陸相も、独走する松岡に手を焼き、何でも良いからきっかけが欲しかったらしい。
で、
松岡一人をクビにするために内閣総辞職!
松岡曰く「三国同盟は僕の人生の最大の失敗だ!」と。
ご尤も。
東京裁判中に死亡。
軽いネタのつもりが、えらく長くなった。。。
※1 言葉遣いとしては「米国」の方が無難です。
「アメリカ」などと使うと抗議が来る場合があります。
※2 「資料」にする奴がいるから「史料」も非公開なのである。
(私が調べた当時は。たぶん今も非公開では?)
でも歴史上の人物なのだから良いのでは?
ついでに、一次史料と一級史料の区別がつかない奴が歴史学をやっている。頭が悪すぎ。
※3 最近は「パリ講和会議」でなければ駄目だぁ〜、などとアホみたいな抗議をしてくる知識
人気取りがいる。
ついでに「某フリー百科事典」によれば「大英帝国」などという言葉は不適切だぁ、らし
い。アホか。
だったら、「室町幕府」は使うな!征夷大将軍は「大樹」とか「上様」と呼べ!
※4 日石じゃないよ。
ちなみに、まったくの私企業なのに勝手に「国策企業」を名乗って社員教育をしていた
出光という会社もあるが。あの社員教育ビデオ、また見たいなあ。
※5 これこそ「満洲」でなければ駄目。「満州」だと意味が変わる。
「満洲」を使っては駄目だという意味不明な本が世の中に溢れていて、
しかも「学術著書」を自称しているが、
それは政治的に偏っていると自覚しているのだろうか。
※6 自力のコネなので「天下り」ではない。
※7 国民党の機関紙で「天皇が暗殺されなかった。残念だ」とか宣伝して回ったのが真因。
ついでに、珍しくというか、陸海軍&外務省が意思統一できた最後の戦。
私以外誰も言わないが、戦闘の勝利を有利な停戦に持ち込めた最後の戦。
しかし、世の中の解説本では「松岡」の「ま」の字も出てこない。
いきなりジュネーブに現れたことになるではないか。
※8 相手を論破するのはもちろん、第三者への説得が求められる、パーラメントディベート。
※9 この時は本当に、外務省にも優秀な人材はいました。今を投影してはいけません。
※10 ジュネーブの新聞などと言う二次史料を根拠に
「松岡の演説はキリスト教国の反感を買ったのだ」が通説に。
私は日本と英国と米国の史料しか見ていないが(中華民国のは日本の史料にはさまってい
た)、なぜ無視するのだろう。
確かにこの人の英語の演説と討論、すさまじく上手いです。
※11 「猿岩石」状態。ちなみに物好きの手引きでこの頃、荒木貞夫陸軍大将と「おしゃべり
日本一決定戦」を行い完勝。松岡が口を開いたら、列車の移動中、口を閉じることがな
かったとか。
※12 読みは「ひとばしら」。この辺り、霞ヶ関の、特にこの省では同じか悪化してますね。
松岡洋右は外交の天才である。彼が首相だったら大日本帝国は、ソ連のような超大国になっていただろう。惜しい人物だった
松岡洋右は日本の独自外交の草分けであった。その構想の大胆さ、その行動の
卓抜さは、群を抜いている。
官僚でなく、エリートでもないが、その柔軟性からあらゆる選択肢を常に国民に提示できる外交官であった。
彼はアメリカ人を知るが故に、対米政策を誤ったが、彼のアメリカ理解が不正確であったわけではない。
彼はヒトラーとナチズムを従来型の欧米の保守反共政権としか捉えず、共産政権に対する理解も不十分であった。
彼の下に初期の満鉄並みのシンクタンクがあれば、また、時間の余裕が有れば
状況は変わったかもしれない。
脱退は松岡の意思ではなく内田外務大臣の指示では?
帰国後に調子に乗ったのは間違いないが、
何から何まで松岡の所為にするのは間違い。
関東軍と、その圧力に屈した内田康哉こそがこの問題の元凶でしょう。