私の「戦争」反対論!

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 シンガンスのことを忘れた訳ではありませんが、世の移り変わりについて申しあげましょう。

 最初に穏健な主張から。

北朝鮮と戦争をすべきである!

 これ、少しでも軍事や国際政治に理解がある人なら、穏健どころか軟弱にしか聞こえない主張です。
 ただし、結論から言うと、私は反対です。
 それぞれの論を並べて見ましょう。

賛成論
 北朝鮮は、アメリカと韓国だけでなく、日本をも敵と看做している。
 日本が米韓の足を引っ張らない限り、敵と看做すつもりである。
 では、「戦争は何が何でもしてはいけない」「日本には九条以下、憲法上の制約がある」などを理由に、一方的にミサイルを打ち込まれたり、原発などでテロをされても良いのか。
 どうせ敵と思われるなら、米韓の同盟国として戦争をすべきである。

反対論
「戦争」などは対等の主権国家に対して行うものである。
 核やテロなどの非人道的な行動をとらないことが前提である。
 既に北朝鮮は、平穏な日常をすごしていた日本国民を拉致し、「核武装した」「東京を火の海にしてやる」などと宣言している。
 完璧に国際法違反であり、対等の主権国家として認める必要がない犯罪国家である。
 よって、やりあう必要などない。
 一方的に制裁すべきである。

 もちろん、私は上記の意味での反対論です。

 北朝鮮をどうするか。三つの選択肢があります。

一、こちらの被害が無い、若しくは最小限になるように、一方的に制裁。
二、やられる覚悟で、戦争でやり返す。
三、どんなに攻撃されても、日本は反撃しない。
  日本が手を出さなければ、北朝鮮は何もしない?
  米韓の恨みも買わない?

 読者諸兄の御意見は?

「私の「戦争」反対論!」への0件のフィードバック

  1. 「制裁」自体には賛成ですが、「制裁って言っても、いろいろあるよね」と言われると辛いところですね。単に経済制裁のみならず、軍事制裁という可能性だってあるわけですし。

    ただ、軍事力を使用するとしても、北鮮に対して「戦争」をする必要はないでしょう。「戦争」は対等関係にある場合にのみ使用すべき用語なので。

    「鎮定」で充分では?

  2. 四、先日鳩山前首相が学ばれた抑止力を日本国民全員で学ぶ事にして北朝鮮に対するそれを自前で構築する。広い意味での一に含まれますかね。

    軽武装と言わずに重武装にしましょう。って、具体的にはどう違うのでしょうか?(船中八策より)

    「自衛隊とかけて家のお風呂が壊れた人と解く。そのココロは?」
    ⇒『せんとう(戦闘・銭湯)に行く』
    ・・・それではまた。

  3. 私の場合、基本的に無差別戦争感があるべき姿と考えています。北鮮が主権国家であるか否か、については、犯罪国家に理由を求めるのではなく、日本政府として承認していないことに求めます。国際社会においては国家に値する絶対的価値を決める存在がありませんから、そもそも犯罪を規定することができません。一応、統治機構があり、現実に統治してますから主権国家ではありえます。しかし、日本政府がそれを認めない権利はあるでしょう。国際法を遵守する意図と能力に欠けるので非文明国とは言えるかと思います。

    戦争についてですが、ケロッグブリアン条約以降、戦争が違法化しましたし、戦争状態を宣言することができませんから、戦争ではないでしょう。制裁は集団安全保障として行われる一形態を指すもので、すべてを言いえるものではありません。広い意味で武力紛争というべきです。

    武力紛争が、戦争であろうが、制裁であろうが、自衛権行使であろうが、基本的に有利な状況で行うのがセオリーです。手を下さずに勝てるなら、それに越したことはありません。

    できれば、自ら戦うのは下策です。中共や南鮮と戦わせればよいのです。

    でもそれはあくまで理想論でしかありません。相手がある話である以上、日本を攻めてくれば、やるしかありませんし、この期に及んで戦いを避けるのは、より不利な戦いを強いられます。有利と見れば自ら戦いに望むことを厭うべきではありません。

    そして分け前は戦ったものに与えられます。やはり最後は戦うべきです。

    当初はなるべく、自ら戦うことを避け、北鮮が弱るのをみて掠め取る、これが現実的には理想でしょう。

    ここまで書いて、すでに歴史上前例を思い出しました。そう、大日本帝国に対するソ連の参戦です。中立条約で自ら戦いを避け、最後に得るものを得ました。ただ参戦が少し遅かったので、極東での分け前が少なかっただけです。

    別にソ連だけのことではありません。第一次世界大戦の米国も近いものがあります。こんなことは国際社会では常道でしょう。

  4. 歴史に学ばないものは愚か者であるといいますが、少し年表と地図を見てみると、乙巳の変(蘇我氏暗殺事件)から白村江、鑑真渡海までの流れというのは今以上に危機的な状態であったように思います。
    遣唐使の派遣というのは単なる使者の派遣だけではなく、相当な裏事情があったように思えます。さて今日その遣唐使足り得る人はいるのでしょうか。似非拳闘士や剣闘士はいるようですけどね。

  5. 叔父さんの息子様
    「鎮定」などと、スウェーデンがコンゴでやったようなおそろしいことを。

    藤沢様
    32万人を超えたらですね。
    核武装しても、「周辺諸国よりも軽武装」と言いましょう。
    某国首相のように。

    SC様
    ほとんど私の行っていることと同じですが、1928年に「戦争」は違法化されたのですか?どんなに早くても45年だと思いますが。

    仙台様
    外国に行くよりも、本国に残る人材の方が重要な時代ですね。
    井上馨が英国から戻ってきたように。
    「攘夷!攘夷!攘夷!攘夷!断固、攘夷あるのみ!」と。

  6. Anonymous 様

    昭和3年に不戦条約(ケロッグブリアン条約)で禁止されました。それ以降、宣戦布告により戦争状態となったのは第二次世界大戦だけです。

    一部の戦争については、たとえばポーター条約だったと思いましたが、借金の返済を迫る戦争を禁止したものがあります。

  7. SC様
    内容で分かったと思いますが、私です。
    Anonymousは、名前を入力しないとこうなります。外からでしたので。
    さて、禁止されたことが違法化の定義ですか。
    あんなものはハナから空文で、成立していない条約だと思っていたのですが。
    仮に「禁止された」「戦争が違法」ならば、アメリカとかソ連とか英国はどうなるのでしょうか。
    私は「タマタマ宣戦布告を伴った戦争が発生していない」あるいは「国際法の退化」と説明しますが。
    国連憲章で、ウェストファリア条約以来蓄積してきた、主権国家間の合意法が支離滅裂にされたと思っています。実務家の人には嫌がられますが、学術的にはそう言うべきでしょうし、特に「日本敗戦国体制」を固定化しようとする意図があった国連憲章など、しょせん時代のあだ花にしてしまうべく、今から理論武装すべきだと思っています。
    未来の国債法学者には「日本が負けた一九四五年から日本が世界の指導者として復活した二〇××年までは、国際法における反動的退化の時期だった。この時代の支離滅裂な理屈など考慮する必要はない」と言ってもらいたいものです。

  8. 倉山さま

    南北朝鮮が、振り上げた拳を下ろさざるを得なくなってきましたね。北がスピーカーを砲撃すれば、南も対応せざるを得なくなります。まあ、日本にとってはむしろ好都合でしょう。両者で潰し合いをしてもらいましょう。日本は特需の再来です。

    違法化でよいと思いますよ。要するに戦争と名乗れなくなっただけのことですが。

    連合国は、支援するために中立状態を脱する必要がありましたから、戦争と名乗らざるをえませんでしたが、まあ両方で違法行為をやったということでしょうね。いいじゃありませんか。どうせプロパガンダです。勝てばいいんです。

    国連憲章以降というより、むしろ20世紀はじめからおかしくなったんです。開戦条約あたりでしょうか。

    そもそも通常の国際関係か、そうでないかを区別する必要から、戦争状態ができたのではないですか。当然、条約を履行できない状況になったから、通常の国際関係が壊れれるのであって、自動的に戦争状態にならざるを得ないわけでしょう。それを違法化したら、自動的に違法になってしまいますよ。違法が駄目だというなら、条約を破ることはできなくなってしまいますし、条約を履行できる条件が崩れれば、嫌でも戦争状態になります。そもそも違法化することが理屈にあいません。平時の条約関係が崩れて、なおかつ戦争でないというなら、それは何なのでしょうか。

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