世界史(1)ー三国同盟と三国協商

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 『総図解 よくわかる世界史』(新人物往来社)の解説シリーズです。

 この章の「一味」は、バルカン戦争への拘り!ですね。本当はもっとビスマルク体制について書きたかったのですが。

 よく読むと、「3B政策」はあったが、「3C政策」などなかった、とわかりますね。「政策」の定義にもよりますが。

 実はあまりいわれないのだが、19世紀から一次大戦までのバルカン史って、セルビアとブルガリアの内ゲバが軸なのである。

 ついでに、「紛議」は国際法用語です。いまだに国際連合憲章などで使用されている重要な概念です。「紛争」とも「戦争」とも違います。何気ない一語の使い方も、国際法を知っているのといないのでは違ってくるという事例として。

 あと、全体的にイタリアを大国として数えていませんね。吉野作造などはハプスブルク帝国も大国には加えていませんでした。

「世界史(1)ー三国同盟と三国協商」への0件のフィードバック

  1. 中欧・バルカン半島の人々はなぜあんなに独立したがるか理解に苦しみます。

    特にハプスブルク帝国に関してはですね。

    民族自決を認めたら北海道ぐらいの小国がいくつも誕生していますね。(ブルガリアしかりルーマニアしかり、チェコスロバキアしかり、ハンガリーしかり)

    ハンガリーにしろチェコにしろハプスブルク帝国時代は豊かでしたから。チェコなんて1930年代でもトップクラスの工業国でハプスブルク帝国内でも特に豊かな地域でしたから。

    だいたい共産党のろくでもない経済政策が行われたにもかかわらず今ではポルトガルより一人当たりのGDPは上ですから。

    オーストリアは独英よりも一人当たりのGDPは上ですし。

    1900年代はチェコもハンガリーもオーストリアと同等かあるいはそれ以上豊かでしたのに。

    ハプスブルク帝国のままかその枠組みのままでしたらヨーロッパで一番豊かな地域になれた地域でした。

    それをわざわざ民族自決の理念を掲げ対立しています。域内で認め合って共通市場を作ればいいのにと思います。

    ハプスブルク帝国なんて1900年前後においては5千万人ほどいてチェコというヨーロッパ随一の工業地域を持っていましたから、域内統一市場として豊かな国になれるのにと思いますのに。

    軍事的には弱いかもしれないけれど、経済力の強い国家としてハプスブルク帝国は君臨することも可能でしたのに民族自決でめちゃくちゃにしたのは本当にヨーロッパの不幸です。

    旧ユーゴだって同様です。クロアチアやスロベニアはそれなりに豊かですし。

    それをわざわざ対立し域内統一市場すら作れないでいますから。それで市場規模が縮小するということを起こしていますしね。

    民族自決って特にヨーロッパにおいて不幸な思想だと思います。

  2. 二千年前の屈辱を忘れえない民族がいる以上、数百年前の屈辱を忘れろったってそれは無理でしょう。これは日本国内においても同様です。

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