今後の予定

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 各締切に追われ、執筆専念月間、最終盤です。こんな調子だと、毎日更新は難しそうなので、先に謝っておきます。各位ご迷惑をおかけしております。

 予定ですが、来月から月に一度は倫理法人会さんで講演をいただいております。「そもそも憲法とは何か」です。

 個人的に茶話会その他イベント参加のお話はいただいております。気軽に声をかけてください。ただ、できないこともございまして、「コンサートのゲスト」はともかく、「作詞」は無理です(笑)。そんな才能はないので。。。

 あと、「外交官になりたい」「世界で通用する日本人になりたい」という学生さんのご要望が多いので、そのうちに名著紹介をしていきます。ますますネタが渋滞しそうですけど。

 ところで、本日自民党総裁が決まります。私は衆議院選挙の最中から「本番は来年の参議院選挙である」と言い続けて来ました。そして選挙の結果は三つしか考えられません。

上策:少しはマシにできる、もしくは悪化を食い止められる。

中策:六年間何も良いことはできない。変化するとすれば悪化だけ。

下策:滅亡。早いか遅いかだけが問題。

 以上は、現行憲法の条文をよく読めば、誰もがたどりつける科学的な結論です。立場を変えれば、「善悪」の評価は変わるのでしょうが。

 そして、皇室典範の改悪をやられたら、取り返しがつきません。何もしなくてもこのままでは皇族は将来において皇族が一人もいなくなるという状況は変わりませんが。

 どうすれば日本を守れるか。皆さんも考えてください。そして良いと思ったことは実行しましょう。

 ちなみにこのままだと私は自民党を支持しません。真面目(しんめんぼく)を疑うからです。

 民主党内の良識派と自民党内で「陛下の野党」たろうとする人を応援します。

「今後の予定」への0件のフィードバック

  1. 来年の参議院選挙が期待できない他、23年の都知事選も心配になってきました。数年後にはいよいよ保守の体制が崩れるのでしょうか。
    流れが見えてくる起点は北方領土返還問題の時ではないかと見ています。

  2. 倉山先生が保守の大御所になって、日本の保守の理論的支柱となって保守をそして日本を導いてほしいです。

  3. 皇室典範が改編されて、愛子様が皇位につかれれば皇族がいなくなることはなくなるとお思いますが、男系の歴史がなくなってしまいますし。だからと言って旧皇族の方が復籍されても、皇族として今まで教育されていない方に天皇としての資質があるのか、疑わしいものがあると思います。

  4. 自民でも、民主でも、日本が日本であり続けるために、
    政治家はもちろん、私たちひとりひとりが動いていきましょう。

    最近、
    『自分らしく』とか、『個性』とか、口にする人は増えていますが、
    『日本人らしく』とか、『日本らしく』を考える人は少ないのでしょうか?

    私の感覚では、
    自国への誇りは、自分らしさ、アイデンティティの基本だと思うのですが…

  5. 総選挙後の民主党の迷走は何となく予想はしていましたが、自民党がここまで体たらくになるとは思っていませんでした。
    やはり、自民党と言う政党は与党にいなければ、まとまっていられない政党なのでしょうか。
    こんなことなら、いっその事、党を割ったほうがよいのではないかと思います。
    理想としては、政界再編をおこし真の保守政党を結党しることなのですが。

  6. 昔のファシズムの定義で質問があります。

    なぜ一国一党独裁の形態をファシズムと定義するのでしょうか?

    僕が読んだ著作の中で2通り定義がありました。

    一つは左翼の側から見た定義です。
    保守反動の資本家と体制側が結託して徹底的な左翼に対して批判的な政権ですね。

    サッチャーはアントニオ・グラムシのヘゲモニー論を使って、

    「国民にアイデンティティのファンタジーを与え本来は搾取される側の大衆を自発的に支配へと導く点でムッソリーニと同じ穴のムジナである。」(田中康夫などの左派論談系の人たち)

    という考え方もありますよねえ。

    「ムッソリーニ」の著者のウルブリッタはファシズムを、

    「進歩や啓蒙思想という19世紀に主流となった既成の価値観に対するアンチテーゼとして生まれた思想。ロマン主義の極致。不安感から支持された思想」

    と言っています。

    法哲学・政治思想史の院生からは、

    「倉山先生の定義は政治形態を指す定義であり、政治思想を指すものではないよね。一般的な定義は政治思想を指して言うのだから倉山先生の定義は偏狭なのでは?」

    とも言われました。

    倉山先生の定義は、一国一党独裁という社会現象の論理的な典型をあらわす概念としてのマックス・ウェーバーで言うところの「理念型」としてファシズムを用いているのではないのでしょうか?

    ではなぜ一国一党独裁という社会現象を表す「理念型」としての定義を先生は選んだのでしょうか?

    注や解説なしに理念型をいきなり書くのは危険ではないでしょうか?

  7. シバッティーさん今晩は
    倉山先生は本人が更新が難しい状態だとおっしゃているのに挑発的な質問するのはどうかと思います。
    そもそも、一般的な定義とはなんですか?
    何をもって一般と言えるのですか?
    ここに挙げられている著書が一般的とどこで証明されているのでしょうか?
    また、ファシズムとは政治的思想であり、政治的形態ではないとどこで立証されているのですか?
    それを立証せずに偏狭、危険と主張するのはそれこそ偏狭、危険なのではないでしょうか?
    なんなら、私が代わりに論争しましょうか?(笑)

  8. 僕が一般的という語句を選んだのは、つまりファシズムに対する通解を一般的と用いました。

    院生も基本的にその通解をもとに話しているんです。

    一般的とは非常に語幣があるとは認めます。

    しかし、ファシズムというものを研究するもの以外にとってはこれが一番アクセスしやすく、ファシズムの語句定義として教育界などの公の場で採用される可能性が高いと判断して”一般的”と解釈させていただきました。

    それらのものの見解としては「権威主義体制。反共や自民族中心主義などの思想。独裁体制」とあるんですね。

    つまり政治形態と政治思想の両面からとらえているんです。

    倉山先生は”左翼ファシスト”とという語句をを用いて、中華人民共和国や旧ソ連を一国一党体制をファシズムと指しますがこうなりますと、通解と考えられているファシストの定義の両義性とは違うんですね。

    ファシズムとは狭義にはイタリアのファシスタ党の思想という意味もあるわけなんですよ。

    多くなるんで次に書きます。

  9. 「ファシズム」≒「権威主義体制。反共や自民族中心主義などの思想。独裁体制」と言い切れるのですか?
    確かに教育の「軍国主義」≒「国家主義」≒「ファシズム」≒「悪いもの」というような風潮の教えをしますが、それはすべて「共産主義」≒「ファシズム」ということを隠したりぼかしたりするためではないですか。
    もっといえば、「共産主義」≠「ファシズム」とするためではないですか?
    倉山先生もそうおっしゃっています。
    あなたのおっしゃる「一般」は「共産主義」≠「ファシズム」を無理やり証明するために誕生した強引なものではないのでしょうか?

  10. >もっといえば、「共産主義」≠「ファシズム」とするためではないですか?
    倉山先生もそうおっしゃっています。

    ではあなたの考えるファシズムの定義は何ですか?

    『「共産主義」≠「ファシズム」を隠すためだ』とは誰が主張したのですか?

    特に「隠すためだ」という部分の主張は誰がしたんですか?

    倉山先生がおっしゃるならなぜ信用できるのでしょうか?

    ソースと考えを示して下さい。

    なお、イタリアやドイツの政治経済の体制を”ファシズム”とこの後の文章では使います。

    共産主義とファシズムは同根だと主張した有名な学者にハイエクがいますね。

    ドイツ・イタリアのファシズムとソビエトにおける共産主義は同根だって確かにハイエクは定義しました。

    しかしハイエクはこれらの両体制を「集産主義」と言いファシズムとは呼んでいません。

    また、政治思想史で考える時に、科学共産主義という思想としての”共産主義”とファシズム(ここでは辞書的に用いて保守の権威主義的体制)を同義と見なしていいのかというところがあります。

    国際共産主義という考え方を放棄したスターリニズム以降の体制は、大祖国戦争における愛国心の鼓舞のためにロシア正教と和解したこと自国の領土・権益を確保しようした点では確かにナチスと同じと言えるでしょう。

    しかし、思想の違いは存在します。初めから保守をベースとした宗教や民族を肯定した思想として発生した点とマルキシズムという思想をベースにして民族や宗教を排撃した点は違うと言えるでしょう。

    この思想の違いとしてのファシズム論も存在しますしその解釈への配慮としての解釈もあるのです。

    ただし共産主義もファシズムだとみなせる語句定義もあります。

    ファシズム(Fascismo)とは直訳すると「束ね主義」なんです。

    イタリア語「fagotto」は束ですし。

    ただエキサイト翻訳だと不安ですね。イタリア語に近いフランス語において「faisceau」は束です。(ロワイヤル仏和中辞典で調べました)束という語句からファシズムという語句から来ているんです。

    束、集束主義だと日本語だとおかしいので全体主義と訳すんです。

    ですんで形態としてみなすなら共産主義もファシズムとはなると考えることもできるんです。

    ただし、共産主義者はそうは自称していないでしょう。

    一国一党独裁という社会現象の論理的な典型をあらわす概念としてのマックス・ウェーバーで言うところの「理念型」としてファシズムとしてとらえるなら成り立ちうると考えます。

    それに前述したとおりにおいては、グラムシの理論を用いて保守の強権的な体制を一つの「理念型」として保守の強権的な体制をファシズムと見なす考え方もありますしね。

    ファシズムとはどういう現象・形態かってとらえるだけで幾通りも研究が成り立ちうるわけなんです。

    ファシズムという語句をどう捉えて一国一党体制として括るのかを示さないで使うのは失礼ながら不誠実だと考えます。

    それに「共産主義」≠「ファシズム」を隠すためだというのはいきなりすぎるので過程を示してほしいです。

    ヴルノピッタ・ロマノは「共産主義」≠「ファシズム」を隠すために用いたかそれを知らずか意図的に無視して書いたってことになりますよ。

    政治思想史でイタリア・ドイツ・スペインの「権威主義の独裁」の思想としてファシズム研究がなぜ未だに行う学者がいるのでしょうか?

    あなたは鵜呑みにしているだけなのでは?

  11. 横レス失礼。状況を整理します。

    シバッティー様は以下の主張をされている、と見受けられます。
    「”ファシズム”という言葉は政治思想を表す言葉であり、政治形態(この場合、倉山先生が述べられた一国一党独裁体制)ではない。ファシズムと思われる国々の政治的諸形態の最大公約数、或いは「理念型」として”ファシズム”という言葉がある」
    対してhn様は、それらの定義の不明確性、根拠の薄弱性を指摘しておられる。
    おおまかに言って、こんな感じでよろしいでしょうか。(修正希望)

    さて”ファシズム”という言葉ですが、ここで論争になっている通り、その定義は曖昧です。政治学事典(弘文堂)のファシズムの項でも「内包的に定義することは難しい」と書かれております。
    しかし、現に言葉がある以上はある程度の意味(この場合、言葉からのイメージ・うろ覚え・聞きかじり・伝聞などによって生じた個人の”ファシズム”とう言葉に対する「霧のような定義」が社会的に集合して誕生したもの。或いは数多の学者が思い思いに考えている定義の最大公約数を指す)は存在しうると思います。
    それがシバッティー様の仰る「一般的な定義」ではないでしょうか。
    政治学事典ではこのように定義付けています。要約すると、
    「20世紀への転換以降登場した、ある種の政治的イデオロギーと運動。最も狭義にはムッソリーニの体制を指示する固有名だが、これに類似した体制、イデオロギー、運動を広く意味する一般概念として用いられる場合が多い。振幅の大きい学問的な定義が共通して指摘した唯一の内容は、ファシズムがある種の過剰なナショナリズムである、ということである。」
    これはまさしくシバッティー様の定義するところの「ファシズム」ではないでしょうか。ただ、政治体制もその意味に含有しうる点ではhn様の言も一理あります。どちらもある意味正しく、ある意味間違っておられるではないかと思います。

    思うに、このように論争になるほど定義が曖昧な語彙は、利用を避けたほうが無難ではないでしょうか。それは倉山先生が悪いとかではなく、定義を特定せずに乱用してきた先人達に責任があるように思います。もう少し違う言い回しや表現をされた方が間違いないと思います。

    最後にもう一つ。ここに書き込む以上、私達は倉山先生に教えを請い、互いを高めあっていく同志です。学ぶ者同士である以上、指摘する側もされて反論する側も謙虚な姿勢が必要ではないでしょうか。言葉の端々に相手への礼節を欠いた態度が見えるのは、正直見苦しいです。

    新参者ながら大口を叩いて失礼しました。異論反論罵倒等、お待ちしております。

  12. 締切の合間に気分転換に見たら「偏狭」と罵られていた。そして中途半端なチャット状態に。。。ヒマではないですが気分が悪すぎるのでお返事しましょう。ちなみに「不誠実」とは私のことでしょうか?hnさんのことでしょうか?
    いずれにせよ、前にも言いましたが、議論はともかく人格攻撃はこの場ではお控えください。

    さて、本題。シバッティーさんは自白しています。「ファシズムには幾通りも解釈が成立する」んですよね?では「政治思想で捉えるのが正しくて、政治形態で捉えるのは偏狭」とは言えないですよね。むしろ「政治思想で捉えるべき」の方が余程「偏狭」では?何の根拠で政治思想で捉えなければならないかはわたくしの不勉強か読解力不足でまるでわかりませんが。せいぜい、「両方の方法論が可能」とか、「一国一党=ファシズムとは言えない」くらいならわかりますが。
    ということを踏まえた上で念のためになぜ私が「一国一党」などという制度論の定義を採用したかについて。それは思想史の方法論を客観的に提示するためです。

    「もろもろ共産党=ナチス=イタリアファシスタ党」の公式、別に「議会主義否認、一国一党」という括りならば成立します。ナチスやイタリアファシスタ党と共産党が違うものだと主張するのは自由ですが、だったらナチスとイタリアファシスタ党の違いだっていくらでも言える訳です。しょせん思想なんて違いを探そうと思えばいくらでも見つかるので。何をもって思想と称するのかはそれまた定義問題になるので不毛ですが。
    思想の違いなんて言い出したら、フランコだって、サラザールだって、あるいは吉野作造がよく比較していたケマル・パシャだっていくらでも言い出せます。しかし、今挙げた人たちがすべて一国一党という意味では同根で、日本の憲政の常道や英国民主制やアメリカデモクラシーや第三共和制ともドイツワイマール共和制とも異質な存在であるとは、客観的に証明できるのです。
    私も思想史の論文を書いていますが、この分野は方法論が難しくて、しかもふざけようと思えばいくらでもふざけられるので「スターリンとムッソリーニと笹川良一と赤尾敏のファシズム観」などという論文も書こうと思えば書けるのです。客観的な「一国一党」の定義を持ち出して「全員ファシストだ」と言おうが、主観的に細かい言動を取り出して「それぞれ違う!」「スターリンだけはファシストではない!」などと言おうが、証明された議論である限り、学問として認められると思いますが。その思想の違いの客観性を示す方法が私には思いつきませんが。それこそ、シバッティーさんの仰る通り、「誰かがこう言っている」は、何の証明にもならないのですから。
    以上かなり厳しい発言に思えるかもしれませんが。

    もし研究者の方でしたら、
    拙稿「大正デモクラシー期における『憲政の常道』と『国家主義』―吉野作造の場合―」(鳥海靖他編『日本立憲政治の形成と変質』所収、吉川弘文館、2005年)
    を、ご参照ください。シバッティー様にしろその院生氏にしろここに書いてある内容を踏まえての批判ならばお受けいたします。大きな大学の図書館にはかならずある本ですので。一見噛み砕いてわかりやすく書いてありますが、怖ろしく難解な論文です。雑に読もうとすればいくらでも雑に読めますが、私が何を踏まえて何を言っているのかを理解するのは相当困難だと思います。院生には丁度良いかな。

    あと、「共産主義はファシズムではない」という議論、解放された今の東欧では誰も認めないでしょうね。チトーだってこの定義を見抜いて行動していたからソ連の圧力に屈しなかったのです。「第二次大戦は、デモクラシー対ファシズムの戦争だ」と言う有名な歴史観があって、これが英米ソ三国には非常に都合が良い訳です。これに、今の東欧諸国は怒りの声をあげている訳です。「ナチスのファシズムに、共産党のファシズムがとって代わっただけではないか?何を言うか?」との立場で。院生氏やシバッティーさんの思想史的区分によってこの問いかけに答えられますか?答えたとして、色々な区分の中であえてその定義を採用した意義を説明できますか?まあ、ここのファシズムを「全体主義」と置き換えてはいけないのは、前の本編の通りです。

    最後に初歩的な確認ですが、私は「共産党はファシズムだ」とは言いましたが、「ファシズムは共産党だ」とは言っていませんので。その院生氏は、シバッティー氏の引用が正しいなら、ここを誤解しているのでは?
    私の学生ならちょっと良い点はあげられませんね。←私の熱心な読者なら、このギャグわかってくれますね(期待)。

    ちなみに誤解がないように確認しておきます。私は思想史が主観的だと言っているのではありません。思想史は学問的客観性の担保が極めて困難な分野であると申しているだけです。実際わたしも苦労しましたから。少なくとも、その院生氏が本当にそのようなことを言ったとしたら、それは学問ではなく単なる批評、個人的意見の表明にすぎません。単なる罵倒、人格攻撃としか看做しません。失礼!

    追記
    これを書き終えた後で瀛さんのレスを見ました。我が意を得たりの書き込みありがとうございます。仰るとおりです。
    その上で、「難しい」ながらもあえて概念として定義しなければならない時もあるとご理解ください。
    それが吉野作造の場合は、「議会主義の擁護」であり、左右の全体主義の正体を分析する使命感からあえて定義しています。原典は、吉野作造「国民社会主義運動の史的検討」(『国家学会雑誌』一九三二年二月号)です。吉野のファシズムの定義が書いてあります。
    私の場合は、この定義にしなければどういう問題が起きるのかは提示したつもりです。他にも山のようにあるのですが。例えば、昭和初期政治外交史研究においても、この定義を使わなければ、『リットン報告書』も『グルー日記』も読めない、というのがありました。
    ファシズムという概念で説明しようとしなくても、そこにファシズムの概念でしか説明できない現象が出現したら、何とか定義して使用せざるを得ない、という次第です。かなり細かい割りに具体例の中身がなく不親切な回答で申し訳ありません。ご興味がおありでしたら、締め切りが終わり次第、詳しく本編の方で書きます。またネタが渋滞しますが。。。(頭痛の種です)

  13. シバティーさん
    おはようございます。レスが遅れてしまいすみません。
    イタリアや、ナチスドイツばかりファシズムと言われますが、それは違うと思います。
    ファシズムとは、国会議員より政党職員のほうが強い状態ではないでしょうか。
    例として挙げるなら、公明党とか共産党とか。

  14. 本当にすいません。

    「偏狭」と書いたのはすいません。通解をもとにしこうして

    あまりに定義が多すぎて、研究者・思想家・活動家それぞれの研究・解釈がありかつレッテル貼りまで氾濫する始末なんで先生の定義が引っ掛かったので書きました。

  15. 来年の参議院選次第では、女系天皇容認もあり得ます。それどころか、国体崩壊もあり得るのではないでしょうか。
    保守派の小林よしのりですら女系を容認するようになり、自称保守の女系天皇容認の人々が増えているように感じます。これは恐ろしい事態です。
    しかし、それ以上に恐ろしいのは、いわゆる保守に分類される改憲派の中に一条改憲が含まれていることだと思います。
    読売新聞の憲法草案の一条は主権を国民と明記しています。
    これは日本の「万世一系の天皇が統治する国家」ということを否定し、天皇は国体であらずということを暗に示しているのではないでしょうか。

  16. hm様へ、あくまでも私の私見ですが戦前とは違い天皇は国民の象徴となっています。天皇は人間宣言をおこなっており、我々一般国民と同等の人間であり、日本国を構成するにあたって身分の違いはあっても、同じ国民であるはずです。ですので、そこで主権は国民と明示してあっても天皇が国家を治めていることを否定するものではないと思います。と読売側で考えてみました。

  17. 志木さま
    「国民と同等」なのに「身分の違いがある」という両方の表記は
    そこだけで十分矛盾していると思います。
    基本的な知識ですが、皇族のみなさまは、国民ではありません。
    皇室典範に基づいて規定されております。
    例として、選挙権も被選挙権もありません。
    雅子皇太子妃殿下は、一般国民のときは、投票権がありますが、
    妃殿下になられたからは、投票が「できません」。
    つまり、国民と同等の権利は与えられている状態ではありません。
    また「人間宣言」については、
    詔書の一部が「人間宣言」と言われていますが
    原文をお読みになられていると分かるはずですが
    「現人神ではないですよ」、と述べているもので
    少なくとも、「私も国民です」、とは言っておりません。
    出された当時も、外国では「いい宣言だ」と評価されましたが
    国民からすると改めて言うことでもないほどの内容なので
    いままでと何がどう違うのか、理解しがたかったそうですよ。
    一度、詔書の原文および皇室典範をご一読いただければ、
    ご理解いただけると思います。

  18. ちなみに、昭和天皇が「現人神」と呼ばれるようになった背景については新田均『「現人神」「国家神道」という幻想』(PHP研究所、2003年)をご覧ください。

  19. 瀛さん、ありがとうございます。新田先生の本はどれも深くわかりやすいと思います。

  20. かしわもち様へ、あまりにも無知なコメントをしてしまって申し訳ありません。詔書と皇室典範を一度しっかり読み。二度と馬鹿なレスをしないよう猛省いたします。
    凛様へ、オススメの本を教えていただきありがとうございます。

  21. 志木様
    誰でも最初は無知ですから。
    私も大学生時代の自分など、恥ずかしくて恥ずかしくて。
    だから大学院に「入院」しましたから。入学ではなく(泣)。
    皇室典範は新旧両方読んだ方がおもしろいですよ。
    一次資(史)料と参考書を対照しながらの方が勉強になると思いますし。

    かしわもち様も凛様もやさしい対応ありがとうございます。
    こういうほのぼのとしたやりとり、今後ともお願いします。
    こんな感じで皆様でこの砦を作っていってくだされば幸いです。

  22. みなさんの理想の父親像って、どんな父親ですか?

    私にとっての理想の父親像は、

    まず、
    怒ったり、暴力を振るったりしない(笑)

    何があっても、家族を信じ、守ってくれる(結果はともかく、そのために身を投げ出し、捧げてくれる)

    父親の前に立つと、自然と姿勢を正してしまう、気品と威厳がある。

    でも、居心地が悪くなくて、接しているとうれしい気持ちになる。

    そして、常に冷静沈着、いるだけで安心感がある。

    こんな父親になれたら、いいな〜と思う反面、
    おれには、絶対無理だな〜とも感じます(笑)

    このような私の理想的な父親像にどれほどの人が賛同していただけるかわかりませんが・・・

    私たち日本人には、このような理想的な父親が存在しています。

    それが天皇です。

    天皇と日本国民の関係は、理想的な父子関係だと、私は思っています。

    理屈ではなく、天皇のオオミタカラでよかったと、
    日本人に生まれたことを誇りに思っています。

    最近の親子関係、あるいは師弟関係で、
    私が絶対に同意できないな〜と思うのが、
    「友達のような親子」「友達のような師弟」です。

    時代が変わったんだよ〜と言う人もいるのかもしれませんが、
    親子は親子、師弟は師弟、ではないでしょうか。

    そうでなくては、いけないのです。

    今、学校では、
    先生に敬語が使えない生徒がいます。

    「なんで先生に敬語使わないといけないの〜?」
    「タメ口のほうが親しみやすくていいじゃん」

    と言う人もいますが、
    親しみやすいことや、友達のような関係が、
    果たして本当に正しいのでしょうか?

    私は、違うと思っています。

    私は、天皇には、
    今まで通り(戦後も、戦前も、太古の時代から続く通り)
    理想的な日本の父親であり、
    天皇と国民の関係が、日本の親子関係の象徴であり続けてほしいと、
    願っています。

    かしわもちさんのような、理論的説明ではなく、
    情緒的すぎると言われるかもしれませんが、
    私はそのようにとらえています。

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