質問6

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ネット山賊さんたちが聞いてほしいそうです。
やめよかと思ったけど。笑

質問6

道州制も新古典派なんですか?

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/39236

「道州制」って、日本語にしかない単語なのだけど、
新古典派の外人さんたちは主張していたのか???

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  1. すみません、昨日の記事のコメントを削除して貰えないでしょうか?
    質問は昨日で終わったと思っていたんですが、勘違いしていたみたいです。汗

  2. 植民地の分割統治のことじゃないかな?
    類推解釈だけど。

    トンキン、アンナン、コーチシナとベトナムを分割
    全体的にインドシナ総督府が支配。
    市町村を解体し、区分化するのが大阪都構想。
    エリツィンがロシアで地方分権して
    プーチンがロシアを中央集権にした。
    中央集権のロシア帝国は、共産主義者にソビエト連邦にされた。

    国家解体の左翼思想。
    東アジア共同体に支配される区分が道州。

    言ったらいけないけど
    ユダヤ的共産主義の無神論
    ユダヤ的資本主義の一神教

    多神教の靖国神社を批判する敵は二つ。
    保守派を抵抗勢力と叩く敵は、新自由主義と共産主義
    中野三橋はいわゆる抵抗勢力。
    共産主義者は、新自由主義者と保守派が嫌い。
    保守派は、新自由主義者と共産主義者が嫌い。
    新自由主義者は、共産主義者と保守派が嫌い。

    価値判断の問題ではなく
    事実判断の問題。

    文言解釈なら倉山先生は正しい。

  3. 倉山先生の導き方がとても上手いので、わけが分からないままに、日に日に深みにはまってしまいます。
    寝不足になる、どうしてくれるんや!(笑)

    三橋芸人のブログなど、時間を無駄にしたくない年寄りは読まない事にしていたのに、見てしまったではありませんか。
    やっぱり目が腐るようなひどいものです。インテリジェンスに欠ける、美しくない。
    文章に整合性が無く経済を知らない素人騙しさえ、出来ないです。(素人本人の感想)

    荒っぽい論理の飛躍など、いろいろとほころびはあるけど、
    目に見えて分かりやすいのが、「新古典派経済学的な道州制」
    ほらね、「もっともらしい言葉を作って分かったような気」になっている。
    これ最低の素人騙し。
    倉山先生のご指導はジャスト・ヒットだと・・・生意気言ってすみません!

    2ページ目は面倒くさくなり読む気がしませんでした。寝ます。

  4. 昨夜は朦朧とした頭でひどい事を書きました。
    あれでは、先生にも真面目に勉強なさっておられる方々にあまりにも失礼です。
    削除して頂けたら有り難いのですが・・・それでは無責任ですね。

    最近、楽しすぎて調子に乗り過ぎていますので、しばらくおとなしくします。
    本当にごめんなさい・・・・反省(恥)

  5. 倉山先生、一週間お疲れ様でした。
    第1の質問の回答期限が過ぎたことと思いますが、回答はあったのでしょうか?
    三橋氏のブログを読む限りでは、出典、及び典型的な新古典派的な政策になる理由は説明されていないと思います。(ちなみに、5/16日のブログでは「新古典派経済学的な政策(構造改革など)」と書いてあります)

    もし何らかの回答があったとすれば、その旨ご報告いただけないでしょうか?

  6. >念のため書いておくが、自民党の言う「道州制」がいかなるものか、未だ実態は明らかにされていない。

    字義的にって。。。字面から新古典派だの、EUだのを引っ張り出して無理やり関連させた、ただのファンタジー記事ですな、芸としてもどうかと思う。
    UFO特集の時だけテレビに登場する芸能人いましたよね。あれを目指しているのだろうか?

  7. どうも、失礼します。

    道州制が新古典派かそうでないのかなんて事は心底どうでもいい問題だと私は思います。ただ、ネットで愛国心(笑)を絶叫なさっている方々はどうもこの言葉が気になる様子。

    ならば、彼らに勧めてやるべき処方箋は彼らの理論的支柱であるN老師やN芸人1号&2号さんに対して道州制=新古典派の明確な出典を公開するように迫るように教えてやることでしょうな。彼らが心の底から信じている偉大なお師匠様なら、このくらいの問題には簡単に答えてくれるばずですからね(笑)。

    正直な話、愛国心を絶叫するだけなら馬鹿でも出来ますし、それ一つをとって保守なんて言われても困る訳ですし、ましてや中国韓国が嫌いだから真性保守とか靖国神社に参拝しているから真性保守とか言うのは、真面目に天下国家のことを考えて最善を尽くそうと日々研鑽に励み、思案に暮れている人々に対して失礼極まりないと思います。世の中、その手の単純な方程式を自身の票集めに利用している人間が何人いるかその手の人たちは知らないのでしょうね。全員が全員、中山恭子先生や中山斉彬先生の様な方ばかりでないどころか、もしかしたら中山先生みたいな人たちの方が少数派かもしれないという事実をどう考えているんでしょうかね。

    いずれにせよ、TPPといい道州制といい、昨今の移民政策(実際には全く違いましたが)といい、とにかく言うだけ言って相手を頭ごなしに批判し、全く議論をさせないで、ひたすらにその場の雰囲気だけを優先して迎合することばかりを考える風潮が自称保守界隈に蔓延している様子は、いつぞやの国体明徴運動のように不気味で不愉快に感じるのは私だけではないはず。

    今後も彼らの動きは気が向いたら多少は気にして見て行こうと思います。とは言っても最近、少し忙しくなってきたので、あまり程度の低い問題は相手にしたくないのですが・・(汗)。

    長々と失礼しました。

  8. 質問6は秀逸ですね。大笑いしました!
    「道州制は竹中平蔵っぽいから新古典派。」
    これが答えなんじゃないですかね?(笑)

  9. これいつも不思議に思ってました。
    なぜか道州制は新自由主義的なものとして批判されてるんですよね・・・。

    M(N)は「字義的」と言っていますが、最近の辞書には

     ”道州制 : 新古典派経済に基づいた地方自治”

    と説明されているのでしょうか?
    字義的と言うなら、注釈でも付けて出典示せばいいのに。

    しかし、なんでEUなんですかね?EUって国ではないですよね。
    アメリカ、ロシア、ドイツ、スイス等々、連邦制の国なんていくらでも
    あるのですから、せめて自論に都合のいい国を探して失敗例を示すぐらいの
    努力が欲しいですね。

    で、M(N)はあいかわらず上から目線で妄想を垂れ流しているようですが、
    一か所おもしろい箇所を見つけました。

    「筆者は「東京」が勝ち組になることに全財産を賭ける」

    勝ち組の道州とは税収が増え、人口も増大だそうです。
    M(N)の定義と宣言によると、東京の税収が減ったり人口が減ったりすれば
    M(N)は全財産を差し出すということですね。

    その賭け、ぜひ受けさせて欲しいですw

    しかし、なぜ道州制に移行すると、日本人が国民意識を喪失するのでしょう?
    なにやら中国の大地震を持ち出してますが、中国は連邦制(道州制)ではなく
    中央集権国家ですよね。
    どういう意図があったんでしょうか?

    何はともあれ、M(N)が日本人(特に地方の人)を信用せずバカにしていること
    が良く分かる記事でした。
    (バカにしてなければありえない前提と発想に基づく記事だと思います)

  10. こういう質問があるとそもそも新自由主義の定義とは一体何だろうかと興味を持ってしまいますね。
    Wikipediaを見てみると

    経済学者の橘木俊詔は「レッセ・フェール(フランス語で「なすに任せよ」の意)は現代でも有力な思想の一つとして生き続けている。市場原理主義・新自由主義と呼ばれる思想がそれであり、政府の介入を排し、規制緩和・自由主義による競争促進政策が、経済を強くするため必要と考えた。イギリスのマーガレット・サッチャー、アメリカのロナルド・レーガン、日本の小泉純一郎による構造改革路線はこの経済思想である」と指摘している。

    との記述があり、M(N)氏の言う新自由主義の定義と重なります。

    道州制を先頭になって推進している橋下市長は「国の規制を取っ払って地方どうしで競争するんですよ。そしたら地方は活性化するんですよ」旨の発言を事あるごとに発していることから道州制=新自由主義的な政策という印象は誰もが抱くところだと思うのですが
    そういえば倉山先生から本当の新自由主義とは何ぞやという解説を耳にする機会がなかったのですが、倉山先生は新自由主義というものをどのように定義されているのでしょうか?
    僭越ながらその点をはっきりさせて上でこの質問をされたほうが説得力があったかと思ってしまいます。

  11. 田中先生、上念先生、倉山先生がいくら教えてくれても
    受け入れない人信じない人理解できない人がいるでしょう
    だから昔から広く一般的で代表的な本も紹介してくださっています。(質問の中にある)
    とても親切だと思います。
    自分で読んでみて考えてみてほしいということでしょう。

    これは私のことも含めたことですが、本を読んで理解して考えることのできない人に政治、経済を語るなどということは到底出来ない。
    がんばってスタートラインに立ちましょう。

  12. >11.そういえばさん
    wikiの「新自由主義」のページには橘木氏の定義が記載されていなかったのですが…
    wiki「レッセフェール(自由放任主義)」のページにはご指摘している橘木氏の記述がございました。

    つまり、「新自由主義」と「レッセフェール(自由放任主義)」は同じ意味なのですか?
    是非、その出典を教えて下さい!世紀の大発見ですよ!!

  13. Wikipediaって・・誰でも素人でも書けるネット百科事典なんですけど。
    もちろん異論があれば書き直しも自由ですが、正しい知識を持った人がアクセスしなければ間違ったままですよ・・。

    チャンネルくららブログにもありますが、アダム・スミスの時代に産業革命があり、分業・自由経済・貿易により、有史以来世界が初めて経済成長したのです。
    それまでは経済成長なし、職業選択、居住移転の自由もなしです。

    哲学や思想も大切ですが、自由貿易否定やゼロサム的思考では、経済の否定、成長の否定になる。
    そこに共産主義との親和性があることを、倉山先生は繰り返し指摘しているんです。

  14. >11、12、13さん反応をいただきありがとうございます。
    そういえばです。

    私の何気なく書き込んだコメントに3名もの方が反応していただけるとは思いませんでした。ありがとうございます。

    しかしながらお三方とも核心的な部分に対する言及がなくどうもあさっての方向に向かってばかり矢を放っているような意見しか目に出来ず非常に残念です。
    私のコメントが言葉足らずだったのかもしれませんので今一度今度は端的にハッキリとした「的」を設けさせていただきますのでもしよろしければもう一度その的に向かって矢を放っていただければ幸いです。

    的とはズバリ新自由主義の定義そのものについてです。
    現在、新自由主義という単語を知っている方にその定義を尋ねるとwikipediaを参照するまでもなく「政府の介入を排し、規制緩和・自由主義による競争促進政策」という旨の回答が帰ってくると思います。
    これが正否はともかく「世間の一般的な認識」となっていることは非常に否定しがたい事実だと思います。
    そしてこの定義が正しいのだとすると道州制は新自由主義的な政策だとする解釈が妥当なものであると判断するのは極めて自然なことです。

    しかし倉山先生が今回のような質問をされているということは世間一般に認知されている新自由主義の定義が間違っているということなのでしょうか?
    もし世間の常識が間違っているというのならば正しい新自由主義の「概要」(例 政府の介入を排し、規制緩和・自由主義による競争促進政策)を示していただけないでしょうか?
    以上が「的」です。
    ご回答いただける方いましたらよろしくお願いいたします。

    一言断っておきますがここで質問に答えず倉山先生の薦めた本を読めよという回答は非常に的外れです。
    そんな事イキナリ言われて小難しい本を読む人間なんてまずいません。
    一般的な認識となっている三橋氏の言う新自由主義の解釈が間違ってるというのなら「最ッッッ低限!」その正しい「概要」を示した上でその根拠はこの本ですと薦めるのが「一般的な社会的常識」「一般的な社会的常識!!」というものではないでしょうか?

    以上です。
    長文失礼しました。

  15. 初めまして。
    石川です。

    「現時点での私の新自由主義の仮の定義と使い分け」です。

    1つ目の新自由主義。

    「ニュー・リベラリズム」=独立した資本主義経済国家の政府が自国の市場に介入すること。
    「隷属への道」 ハイエク 西山千明 訳
    春秋社 p383~p385 訳者のあとがきにかえて 日本における新自由主義

    P383 1~2行目

    シカゴ学派の経済学は、自由主義にのっとっているが、ここでいう自由主義は古典的な自由放任主義とはまったく異なっている。

    4~5行目

    フリードマンの「マイナスの所得税」のように、自由主義は放任によっては実現されることなく、積極的にこれを実現するための政策が、政府によって実施されなければならないとするところに、その一大特徴があった。

    P385 8~17行目
    1970年代から、私はシカゴ学派の自由主義を「新自由主義」と呼ぶことにした。
    この「新自由主義」は、日本では大いに誤解されているように思う。
    最近では、デヴィッド・ハーヴェイという地政学よりの学者の”A Brief History of Neo liberalism”が「新自由主義」と題され翻訳出版されている。
    しかし、これはあくまでも「『中国的特色のある』新自由主義」も含めた新自由主義である。(ただし、原書においては「ネオリベラリズム」と、真の新自由主義者が自らの自由主義を「ニュー・リベラリズム」と呼んだものとを区別しているので著書ハーヴェイの責任とはいえないかもしれない)。
    日本の学者は、この訳書の「新自由主義」というタイトルにだまされている向きがあって、これ以上多くの学者にさらに誤った考え方を抱かれては、世論をいっそう誘導することになるので、以上の事情を明らかにしておく次第だ。

    2008年12月 西山千明

    あともう1つの新自由主義。

    「ネオリベラリズム」=ニュー・インペリアリズム(新帝国主義)

    他国に内政干渉を行い、他国が自国の市場を介入し、内政干渉を行った国の都合の良いように市場を開放する。

    「ニュー・インペリアリズム」デヴィッド・ハーヴェイ 本橋哲也 訳 青木書店

    第5章 P185 12行目

    新自由主義的国家政策は、共有財産を囲いこみ、私有化、および開かれた商品・資本市場の枠組み形成を典型とし、労働者に対する管理を徹底しながら、「良好なビジネス環境」を育まなくてはならない。
    もし、ある国家がそれを怠ったり、実現を拒むとすれば、その国家は「失敗」とか「ならず者」との烙印を押される危険を冒すことになる。
    その結果が、新自由主義を明確にかかげた帝国主義の登場である。

    また、「新古典派経済学の定義」

    「自由と市場の経済学」マーク・スカウソン 田総恵子 訳 参照

    P63 5行目

    ①価格はどれほどの労働がかかったかではなく、その産物の入手可能な量と消費者が最終的にどれほどそれを望んでいるかによって決められる。

    ②何らの規制もない競争的な市場経済では、労働者は搾取されることはなく、彼ら自身の限界価値、つまり、財やサービスの生産過程に対する貢献度に応じて報酬が支払われる。

    ③賃金上昇の鍵は、多くの経済学者が主張したように労働組合によって不当な扱いを防ぐことではなく、生産性の向上である。

    ④資本家や地主たちも同じように、補助を受けたり、政府の強制によって規制されていないかぎり、生産過程での貢献度に従って正当な報酬を受けているのである。

    この定義はあくまでも、今の私個人の使い分け、分類によるものであります。
    今後は、この仮の定義が正しいのか否か検証したいと思います。

    皆さんの新自由主義、新古典派経済学の定義を教えてくださると参考になります。

    よろしくお願いいたします。

  16. おとなしくすると言いながら・・・・また、ですが、(苦笑)

    そもそも、抽象概念を定義するならば、分厚い論文と歳月が必要なのではありませんか? 
    そして、専門家が擦り合わせを行う中で、共通の定義が権威となってゆくように思えます。

    時代の流れの中で、流行になり、過去のものとなり、消えてゆく概念もありました。
    マルクスだけでなく、サルトルとかボーボワールとか、思想の流行も見てきましたが、
    当時は、そういった流行語を使うことで(理解が及ばなくても)思考の最先端に居られました。
    国により多少の違いはあっても、世界は今、自由経済のまっただ中にあり、
    新自由主義という抽象概念は、現代社会のまさに最先端にあるのだと思います。

    三橋氏の論調に、簡単に流行語を使うあざとさと、あやうさを、感じるのは私の気のせいでしょうか?どこまで真摯に突き詰めた使い方をなさっておられるのか?
    こういう厳しいことを言うのは、一応、三橋氏がプロの言論人を名乗っておられるからです。

    思想は生もので、時代の変化の中で醸成されます。
    コンクリート的定見が定着するときは、もう済んでほぼ結論が出たとき、です。
    議論百出しているということが、まさに現代にいま生きて働く現在進行形の概念だということではないでしょうか。
    軽く定義をなさらない倉山先生にこそ、言論人としての良心を見ます。

    よく見て、よく考えて、よく議論しましょう!
    (それにしても、砦の皆様の博学ぶりには、驚いたり、頭が下がります・・・)

    政治・経済の勉強は中学生並みなのに、生意気な事を言いますが、
    一般論の範囲で聞いておいて下さい。

    ですから、*そういえば*さんの「一般的な社会常識」は、あなたが考えて「常識」だと見なしておられるものです。
    数年後にはどんな訂正や加筆があるかわかりませんよ。(ね、楽しみでしょ?)

    そして最も肝心な事は、
    道州制も、橋下市長や方々の提案としてあるもので、まだ実現していないにもかかわらず、あそこまで言いきる根拠が薄弱なのです。

    おばあは無い頭使うて、当分は寝不足ですゎ(笑)・・でも、有意義な時間です。

  17. ちなみに中野剛志氏の新自由主義の定義

    「保守とはなんだろうか」

    P13 5行目

    新自由主義とは、簡単に言えば、「自由市場こそが、資源をもっとも効率的に配分し、経済厚生を増大する最良の手段である」

    という信念の下、政府による市場への介入をできるだけ排除し、経済活動の自由をできる限り許容すべきであるとするイディオロギーである。

    これは、新自由主義の定義ではなくて新古典派経済学の定義なのではありませんか?

    < 新古典派経済学の定義>

    「自由と市場の経済学」マーク・スカウソン 田総恵子 訳 参照

    P63 5行目

    ①価格はどれほどの労働がかかったかではなく、その産物の入手可能な量と消費者が最終的にどれほどそれを望んでいるかによって決められる。

    ②何らの規制もない競争的な市場経済では、労働者は搾取されることはなく、彼ら自身の限界価値、つまり、財やサービスの生産過程に対する貢献度に応じて報酬が支払われる。

    ③賃金上昇の鍵は、多くの経済学者が主張したように労働組合によって不当な扱いを防ぐことではなく、生産性の向上である。

    ④資本家や地主たちも同じように、補助を受けたり、政府の強制によって規制されていないかぎり、生産過程での貢献度に従って正当な報酬を受けているのである。

    新自由主義と新古典派経済学の見分けがつかないのか?私の定義だと思っていたものが違うのか?
    みなさんは、新自由主義と新古典派経済学をわけて使われますか?
    それともわけないで使いますか?

  18.  15.そういえばさんへ。1つ目
     もしかしたらこれほどずうずうしく長い文章を書く奴など、砦初かもしれません。長くなってしまいましたが、なるべく丁寧にしたつもりです。
    >的とはズバリ新自由主義の定義そのものについてです。
     一言で言うと「フリードマンが本に書いたこと」(出典は下で記入します)という認識です。何故そうなるのかは、三橋貴明氏のコメントを見ればわかります。何故三橋氏なのか?それは、氏本人が「新自由主義」と言う言葉を使い説明・批判をしていますし、新自由主義の定義が(誤った定義で)一般常識として広まっていたとしても、三橋氏本人の言葉をたどると矛盾が出てくるからです(後述:1)。よって「出典は何か」という質問につながると認識しています。その矛盾が生まれてはいけない理由は何か?議論をする上で定義を明らかにしなければ、正しい批判はできませんし、誤解を受けてしまい正しくとも支持を得られません。そして今現在それを明らかにできていない所為なのか、リフレ派との論争が起こり、安部政権の政策に対しては「新自由主義的だ」と言う批判をされても、現実との兼ね合いがとれた改善をする為の議論ができないと考えられます。それと、その論争の一部をかなりざっくり言いますと、リフレ派は「建設業の工賃をこのまま上げつづけるのはまずい。逆効果になる。」といい、三橋氏は「工賃を下げるのは新自由主義的だ。上げれば雇用が生まれてインフレになる。人材も育成できるetc.」とコメントしていて、出展を明らかにしなければかみ合わないし、大事な協力ができません。大雑把過ぎて不満は有るかもしれませんが、あくまでざっと書きました。それから、マスコミの公共事業嫌いはまだ有るように感じますし、下手をすれば、「建設業の工賃を上げる事」が目的化している様に受け取れるからです。まだ理由はありますがこの辺にしておきます。矛盾と誤解については私の思い込みかもしれませんので、誤解でしたら参考の意見を頂きたいです。
     2つ目へ続く

  19. そういえばさん
    端的にお伺い致します。
    新自由主義について、「世間の一般的な認識」となっているという「政府の介入を排し、規制緩和・自由主義による競争促進政策」が明記されている出典をお願い致します。

  20. >>15そういえばさんへ2つ目
    以下三橋氏
    >『(略)。フリードマンは、新自由主義の本家として「完全なる自由主義経済」を主張し、ケインズ型の政策を批判した』
    >『フリードマンは、1930年代の大恐慌すらも、市場の失敗ではなく、政府の失策が原因だと主張しているのである。具体的な新自由主義の方策として、フリードマンは「あらゆる政府の規制の緩和」や、「徹底的な経済の対外開放(貿易の自由化)」などを主張している』
    出典:ttp://www.gci-klug.jp/mitsuhashi/2011/05/03/012632.php
    「一般的な認識の新自由主義」を使っています。
    >『しかも、アメリカはミルトン・フリードマンやシカゴ学派による、「歴史や伝統、文化に基づく既存の仕組みをわざわざぶち壊して、強引に経済の自由化を図った挙句、国内の格差が極端に拡大する」という、「それは絶対にフリードリヒ・ハイエクが言った『自由主義』とは違うだろ!」と力の限り叫びたくなるような政策、(文字数制限のため省略)』
    出典:ttp://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-11129925256.html
    つまり三橋氏の認識は「フリードマンとハイエクは違う主義・主張だ」、だと分かります。ところが
    >『ミルトン・フリードマンと私(ハイエク)は、通貨政策を除くほとんど全てのことで意見が一致するのです』(「ハイエク、ハイエクを語る」名古屋大学出版会、186頁)
    と述べた。つまり「フリードマンが本に書いたこと」は、通貨政策を除くほとんどがハイエクと一致するため、当然ですが三橋氏は「フリードマンが本に書いたこと」を批判していません。他に、氏自身のブログや本などで何度も登場していることから、ハイエク支持を裏付けるています。出典:ttp://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-10479686735.html

     つづいて以下は、ハイエクやフリードマンたちの活動の一部です。それによって、「一般的な認識の新自由主義」と「フリードマンが本に書いたこと」の違いを明らかにしていきます。
    >モンペルラン・ソサイエティー
    1947年、フリードリヒ・ハイエクは新自由主義の理論や政策を広めるためにモンペルラン・ソサイエティーを設立し、Rustowらもこれに参加した。ハイエクらは、古典的自由主義は概念的な欠陥により機能せず失敗したため、その診断と是正のために集中的な議論が必要と考えた。
    出典:Philip Mirowski, Dieter Plehwe, The road from Mont Pelerin: the making of the neoliberal thought collective, Harvard University Press, 2009, ISBN 0-674-03318-3, p. 16
    >フリードマンは、ハイエクが組織したモンペルラン協会の設立メンバーの一人。(モンペルラン協会:アダム・スミス、エドマンド・バーク、ジョン・アクトン、トクヴィルらの潮流に属する「保守主義」「自由主義」を守るため、経済学者、歴史学者、哲学者らを招き、ハイエクにより1947年に設立された)
    『この新しい団体の名前は別として、綱領には、アクトン卿の名に並べ、ブルクハルトの名と、さらに、この二人と共通点が多いフランスの歴史家、アレクシス・ド・トクヴィルの名を加えることが望ましい。この三人の名が並べば、アクトン卿一人の名より、その基本となる政治理念がいっそう明らかになるであろう。その理念に導かれることで、歴史は、将来のヨーロッパが必要とする政治的再教育の一翼を担うことができる。なぜならば、この三人は他の誰にもまして、偉大な政治哲学者、エドマンド・バークの伝統を受け継いでいるからだ。アクトン卿はバークを評して、「彼の秀でたるところは、イギリスの秀でたるところであった」と言っている」
    出典:(F.A.ハイエク「ハイエク全集?-5 政治学論集」17頁)』
    (モンペルラン協会・ホームページ)(URL)ttps://www.montpelerin.org/montpelerin/mpsAbout.html
     とありますが、これは「一緒に活動しただけ」で終わりでしょうか?
     ここで「一般的な認識の新自由主義」である、「あらゆる政府の規制の緩和」や「徹底的な経済の対外開放(貿易の自由化)」が、「フリードマンが本に書いたこと」と一致するのか確認してみましょう。
    >『自由市場が存在するからと言って、けっして政府が不要になるわけではない。それどころか、「グームのルール」を決める議論の場として、また決められたルールを解釈し施行する審判役として、政府は必要不可欠である。
    出典:(フリードマン「資本主義と自由」日経BP社、44〜45頁)
     つまり「あらゆる政府の規制の緩和」は違います。
    >『(外国為替相場において)変動相場制を導入すれば、財とサービスの自由貿易を効率的に推進できるようになる。唯一の例外は、共産圏への戦略物資の禁輸など、純粋に政治的、軍事的理由から妥当と考えられる計画的介入にとどまろう』
    出典:(フリードマン「資本主義と自由」日経BP社、144頁)
     つまり「徹底的な経済の対外開放(貿易の自由化)」も違います。
     さらにハイエクからは、
    >「すべての関税と農家への価格パリティーを廃止すれば、隷従への道を回避する確実な手段となるでしょう」
    出典:『ハイエク、ハイエクを語る』(名古屋大学出版会)(137頁)
     と、TPPの関税廃止を推奨しています。つまり、「一般的な認識の新自由主義」に対する批判とは、ハイエクを批判していることと同義です。これが(後述:1)の矛盾です。
     さらに矛盾が発生しました。以下はハイエクとケインズとの関係です。
    >ハイエクとケインズのやり取りは有名である。ただし経済政策の違いによる論争以前に、「理性主義」批判の項で触れたようにハイエクは理性主義者ほどではないにしても新自由主義者としての我の強い価値観を持っていたことから、財政出動という政治観からも伺えるように慈悲深く温和な性格のケインズとはそもそもそりが合わなかった。出典:ニコラス・ ワプショット 『ケインズかハイエクか: 資本主義を動かした世紀の対決』久保恵美子訳、新潮社、2012年
     と、ハイエクは新自由主義者だと言うのは公然の事実だと分かります。つまり、「一般的な認識の新自由主義」と「フリードマンが本に書いたこと」(ついでにハイエクが本に書いたこと)とは明らかどころか、参考にしているはずのハイエクと真逆の政策を、三橋氏は政策としてあげていることになります。
     さらに付け加えます、フリードマンがとった政策と今現在行われているリフレ派と藤井聡教授の論争を当てはめてみます。
    >政府によって実施される財政政策は、財政支出による一時的な所得の増加と乗数効果によって景気を調整しようとするものであるが、フリードマンによって提唱された恒常所得仮説が正しいとすると、一時的な変動所得が消費の増加に回らないため、ケインジアンの主張する乗数効果は、その有効性が大きく損なわれる。
    出典:野口旭 『「経済のしくみ」がすんなりわかる講座』 ナツメ社、2003年、71頁。
     つまり藤井聡教授が主張する、”建設業の「工賃をあげる」案”は「フリードマンが本に書いたこと」(ついでにハイエクが本に書いたこと)とは逆の意見ですが、リフレ派とは一致します。
    >フリードマンは、ケインズ政策はスタグフレーションに繋がるとし、ケインズ政策の実行→景気拡大→失業率の低下→インフレ期待の上昇→賃金の上昇→物価の上昇→実質GDP成長率の低下→再び失業率の上昇というメカニズムで結果、物価だけが上昇すると主張している。
    出典:竹中平蔵 『経済古典は役に立つ』 光文社〈光文社新書〉、2010年、200-201頁。
     と書いてあり、同上です。竹中平蔵氏が書いています。これほどまでに「一般的な認識の新自由主義」と「フリードマンが本に書いたこと」に違いが有れば、議論などまともにできるはずもありません。そもそも「一般的な認識の新自由主義」は、ハイエクの主張を無視したものですから。よって、出典を明らかにする事は、議論する人達にとって。新自由主義は現在では定義が困難なものだから、定義を聞くこと自体間違っている、というのもそもそも間違いです(理由は最後)。新自由主義(ネオリベラリズム)という用語は、1938年にドイツの学者Alexander RustowとColloque Walter Lippmannにより作られた、その会議では新自由主義の概念を「価格決定のメカニズム、自由な企業、競争があり強く公平な国家体制の優先」と定義した。
     出典:Philip Mirowski, Dieter Plehwe, The road from Mont Pelerin: the making of the neoliberal thought collective, 2009, p. 13?14

     最後です。何故この様な嘘が出回ってしまったのか。現在この用語の定義が困難となった理由は簡単です。サッチャー、レーガン、そしてハイエクら「フリードマンが本に書いたこと」を実行する新自由主義者達は共産主義国のソ連を崩壊させたために、共産主義者からでたらめの批判を受けているからです。
    その嘘の出典:デヴィッド・ハーヴェイの著書「新自由主義 その歴史的展開と現在」(2007年2月初版、作品社)

     返事は以上ですが、ひとつ質問があります。三橋貴明さんは「一般的な認識の新自由主義」を使っているということで問題ありませんか?少なくとも私が考える限りではそうなります。

  21. >>15そういえばさんへ
    続きは長すぎるのでFBに書きました。ttps://www.facebook.com/aiueo.aiueo.330

  22. 15様
    初レス?ありがとうございました。
    私のコメントはあくまで私なりの解釈です。
    倉山先生が本を薦めておられるとは書いていませんし
    だいたいそうではないかなという私の解釈。
    これから書くことも私の解釈で貴方にとっては的外れだと思いますが
    まず何を怒ってらっしゃるのか。
    質問には三橋氏が間違いとは書いていないようです。
    三橋氏が何か答えれば、そこからまた言論人同志としての議論がはじまるのでしょうね。
    本題
    興味を持ってしまいますと仰るので
    せっかく興味がお有りならウィキペディアではもったいない
    ご自分で、ここの質問に挙げられている本を読まれた方が良いのではないかと思いました。
    何故かというと、第三者の解釈が入らないから。
    それが貴方にとって良いのではないかと思いました。
    第三者による新自由主義への偏見が貴方の中にすでにあるような気がしたからです。
    本を読んだって貴方の足しにはならない可能性はあります…
    読みたくなければ読まなくていいでしょう当然です。
    でも、私のコメントの最後の三行に後悔は無いです。

    因みに私、塾生さんじゃありませんので誤解なきようにw
    塾生さんの名誉のために書いておきます。
    私みたいなおバカはおられないので…
    精進します。

    主に私が15様を怒らせてしまって、倉山先生と砦の皆様には申し訳ない気持ちで一杯です。

  23. 用事をしながら書き足しているうちにすごい時間に…
    その間に他の方の丁寧な書き込みが(汗)
    私の一個前のコメントに誤解を与えるような文章がありますが気にしないで下さい。
    その時は表示されていなかったのです。

  24. 二日酔いに聞くさんありがとうございました。
    FBも読ませてもらおうかと思ったのですが、アカウントを持っておらず拝見することが出来ませんでした。誠に申し訳ございません。

    先に質問に答えさせていただくと三橋さんは「一般的な認識の新自由主義」を使っていると思います。

    次にこちらの質問に対するお答えに関してですが、やはりというか「一般的な認識の新自由主義」の誤りを丁寧に説明していただいていることはわけるのですが、どうしても掴みどころの無い雲をつかむような印象が拭えません。
    それはひとえに従来の「規制緩和・自由主義による競争促進政策」といったようなハッキリと形の見える概念が示されていないことに起因していると思います。
    例えばですが、従来型の新自由主義的政策としては有名なところでタクシー事業や派遣労働の参入障壁の緩和などがよくあげられます。
    では本来の意味の新自由主義的政策として実行されたものとして具体的に何があげられるでしょうか?
    もしご存知でしたら政策名(名称または大まかな一言内容のみで結構です)などを挙げていただけるとしっかりとしたイメージをいだくことができるのですが・・・。

    後、二日酔いに聞くさんのコメントの文末のほうに新自由主義者によってソ連は崩壊させられたから共産主義者(三橋氏、藤井氏も含まれる?)の恨みを買っているんだと受け取れる文言はちょっと「エッ?」となってしまいました。
    もし私の解釈がそれでよければ少し深読みしすぎだと思います。
    世の中がインフレ傾向になれば三橋氏は新自由主義的な政策に賛成すると仰っていましたよ(移民政策には断固として賛成しないと思いますが)

    二日酔いに聞くさんのコメントに対する感想は以上です。
    これだけの長文おそらく大変な労力をいただいたのだと思います。
    その点に関して真摯に厚く御礼申し上げます。
    石川さん、ばあちゃんさん、オットーさん、ジョニィさんもどうもありがとうございました。

  25. 法人税減税について新自由主義的だと批判した方を紹介させていただきます。

    「新自由主義からの脱出」
    二宮厚美 新日本出版社

    P149 4行目

    貯蓄と投資には課税せず、ひたすら勤労所得=消費に税源を求めようとする新自由主義的税制改革は、法人税の徹底した引き下げ、つまり法人税の廃止に向かう。世界市場には世界政府は存在しないから、課税当局は不在である。
    この世界市場において、各国が市場に中立的な税制をとるためには、全世界で法人税をゼロにして、多国籍企業の競争条件を平等にしてやらねばならない。
    減税を要求する多国籍企業の圧力を受けて、各競争国家は、「減税競争」に突入する。

    こちらは、新自由主義的だと批判したものですが、三橋氏は、新古典派経済学と批判しました。

  26. >25 *そういえば*さん、
    他の方に御礼をおっしゃるのは分かりますが、おばあまでそこに入れて頂いて、冷や汗をかいています。心優しい日本男児さん、こちらこそありがとうございます。

    おばあなど、素人以下なのに厚かましく書き込ませて頂いています。
    それというのも、ここの方達、ほんとうになんと言っていいのか・・・ついエールを送りたくなるのです。日本の将来も楽しみになります。
    その嬉しさもあって、ついつい入り込んでしまっています。

    でまた、おばあのトンデモ意見ですが、
    最近気がついたのですが、経済に限らず、おおよそ人文科学分野は、学者さんの数だけ「論」や「見解」があるのでは・・・? 答えは各自が見つけてよい。
    だから、何が正しいか何が一般論かなど、あまり気にしないで、自由におおらかに
    ご自分の「論」を展開なされば良いと思うのです。
    ただし、そこにはやはりおのずと「ルール」があります。
    本物の「トンデモ論」にならないように、真摯に学ぶ信頼出来る仲間とおおいに議論なさってくださいませね。
    おせっかい、お邪魔様でした。

  27.  >>25.そういえばさんへ 1つ目
    返信ありがとうございます。一言断ったほうがいいかもしれませんので一応ですが、私も塾生どころかネットでのコメント自体最近初めてした者で、だれかに教わったから反対・賛成しているわけではなく、あくまで出典を頼りに考えて書きました。それからいろいろと誤解を与えました。すみません。
    私のコメントの意図と言うのは、「一般的な認識の新自由主義」を持っているとそもそも会話ができないという物なので、雲をつかむような話と取られてもごもっともだと思います。
    >FBも読ませてもらおうかと思ったのですが
    コメントが表示されなかったと思い込んでコメントしました。21のコメントで全文です。

    本題です。
    >それはひとえに従来の「規制緩和・自由主義による競争促進政策」といったようなハッキリと形の見える概念が示されていないことに起因していると思います。
     前提の話をします。本当は「どういう国づくりをしたいのか」と言う理念を、政府(や言論人)が明確にし話し合いをしなければなりません。なぜなら理念・革命・主義等は、人間の失敗や願望が起源として生まれたものだと考えているからです。たとえば日本政府が、”(歴史を見た結果)「外国人に依存しない独立した国家を作りたい(ただし永世中立ではない)」という理念(保守的願望)”をもったとします。これが前提です。そして、本来の新自由主義はその理念に立脚したものだと考えれば、この主義であるのか否かがわかると考えます。
     この理念を元にひとつ例を挙げます。たとえば”移民”は「一般的な認識の新自由主義」には当てはまりますが、本来の意味の新自由主義には当てはまらないと考えます。なぜなら、
    >『自由市場が存在するからと言って、けっして政府が不要になるわけではない。それどころか、「グームのルール」を決める議論の場として、また決められたルールを解釈し施行する審判役として、政府は必要不可欠である。
    出典:(フリードマン「資本主義と自由」日経BP社、44〜45頁)
    とあるように、その理念を持った政府は「決められたルール(ここで言う理念)を解釈し施行する審判役」として存在するため、移民(外国人)について規制緩和をしません。むしろ共産主義的政策だと感じます。しかし、ついでに言えば「期間つきの外国人労働者」は「解釈」により本来の意味の新自由主義に当てはまる可能性があります。理由は”期限が付いてるから”が「解釈」のポイントになりうるからです。ただ、ここではその良し悪しについて書きません。
    つまり、”形の見えづらい概念”とは「どういう国づくりをしたいのか」に起因しているため、政府や国民がはっきりと表明・意識する必要があると考えられます。よって、EUやアメリカが何故移民をしているのかというと、そもそも元から彼らはグローバリストであり(アメリカは移民の国)左翼だからと言うことになります。そしてその仮定が正しい場合、「一般的な認識の新自由主義」や本来の意味の新自由主義以前の話になります。要は「左翼だから移民政策をした」と言う話です。これについては、馬渕睦夫氏がチャンネル桜などで「アメリカは左翼」と言う旨の発言をしたこととつながります。そして私も同じように認識しています。

     ここまで話せば、私の言う「共産主義者が嘘をついている」という事にますます矛盾すると感じると思います。
    >後、二日酔いに聞くさんのコメントの文末のほうに新自由主義者によってソ連は崩壊させられたから共産主義者(三橋氏、藤井氏も含まれる?)の恨みを買っているんだと受け取れる文言はちょっと「エッ?」となってしまいました。
    訂正すると、EUやアメリカが「左翼」であると仮定した場合、彼らの思考である「グローバリズム・外国依存はしても良い」と言う理念の基に(あるいは保守概念を無視したため)移民政策を行った。しかしそれが失敗したため、「それは新自由主義の規制緩和だから」と批判したものを、先にあげた理念をもった日本に持ち込めば嘘・矛盾なってしまいます(そもそも上の理念では推進してない)。つまり出典がEUやアメリカであれば、「保守」観点の批判と「左翼」観点の批判がまざった「一般的な認識の新自由主義」が日本で発生します。ここでその両者の、”本来の新自由主義への批判”と言うのを例に挙げると、「デフレ化でインフレ政策を行うな」が保守陣営の批判で、「移民で失敗したのは規制緩和したからだ」が左翼陣営の批判ということです。話に関係ありませんが、外国でも両者の意見が混ざったことになっていると聞きます。
    そしてその「左翼」観点からの批判の出展と思われるものが、
    出典:デヴィッド・ハーヴェイの著書「新自由主義 その歴史的展開と現在」(2007年2月初版、作品社)
    であり、誤解を生む原因だと思われますが、その主張が同じであると言うだけで出典だとは断定できません。ただし、「一般的な認識の新自由主義」は「左翼」観点だと断定できる理由とは「デヴィッド・ハーヴェイはマルクス思想の極左である(要約しました)」と、その著書に書いてあるからです。左翼だからこそ「一般的な認識の新自由主義」(左翼から見た新自由主義)を生み出せたのだと私は結論付けます。つまりは、「共産主義的政策(移民)をやって失敗したのではなく、新自由主義・資本主義的政策(規制緩和してやった移民)がいけなかったのだ」と子供のように言っているわけです。ソ連の核は綺麗な核というような話はばかばかしいとお思いでしょうが、現実にこれまで感情的に批判する本と言うのは山のように出版され、ベストセラーになり、人々に信じ込ませてきました。例を上げれば切がありませんが、「人口が減るとデフレになる」論や宇沢弘文氏の批判本(新古典派経済学がベトナム戦争を起こした等)が影響を与えていたのは事実です。
     共産主義と資本主義の歴史の話をしないと恨みを買ったという話になってしまいますし、私の説明が不十分でした。無視してもらうとありがたいです。ただ、私は三橋氏と近い見解を持っております。それは、氏はいたるところで「左翼は作り話がうまい」と仰っているからで、恨みはおいといて嘘のひとつであると思います。そして両氏についてですが、私は誤解した表現を使っているだけだと認識しています。
     ちなみに私は「日本は敗戦国のままじゃいやだ」と言う理念ですし、先に挙げた理念もあわせた前提で話をします。
    2へ続く

  28. 移民の受け入れについて発見いたしましたので報告いたします。

    デヴィッド・ハーヴェイ 「資本論入門」 作品社 p418~419 6行目より

    フランスの自動車産業では労働力不足のせいでモロッコやアルジェリアから国家の支援を受けて移民を受け入れることになった。

    8行目

    1960年代でアメリカで移民法が改正されたこともまた、労働力の潜在的過剰人口を動員するのに大いに役立った。

    そして、その結果、p419 2行目

    アメリカで移民を規制しようとするあらゆる試みは、十分な過剰労働の供給を確保しておきたいというニーズと衝突する。

    6行目

    労働供給を管理することは決定的なものになる。資本家の階級的利益は、産業予備軍をつくり出し永続化するよう労働供給を管理することである。それによって、賃金を低く維持し、雇用労働を解雇で、脅し、労働組織を破壊し、就業者の労働を強化する。

    とありました。しかし、この指摘をしたハーヴェイ氏は、新自由主義であって新古典派経済学ではありません。

  29.  そういえばさんへ 2つ目
     付け加え忘れましたが、そういえばさんの正当な疑問により自分の見解を改めて認識できました。ですがあくまで話し合いで、馴れ合いでもありません。
     それから、一つ目に書いた文章に説明が不十分なところがありました。「アメリカやEUは左翼的な国」と言うのはともかく、そもそも新自由主義自体が保守から生まれたものなので、1つ目の話は便宜上したに過ぎません。
     ほかに大事なことで明らかなものの話です。「フリードマンは特定の人たちが利益を上げられる為に新自由主義を作った」と言われる事がありますが、もともとは黒人達に対する差別や低所得者階級の格差をなくすため、スタグフレーションを是正するためにどうしたらいいのか考えるような人でした。ここまでフリードマンに対して誤解を持っていると、”「一般的な認識の新自由主義」をつかっただけ”と言うよりも”バイアスがかかっている”と誤解を受けます。
    出典:西部邁他訳「価格理論」(フリードマン著)邦訳265ページ
     話はそれますが、私は「三橋氏の言葉全てが嘘である」と言っているのではなく、比率はともかくむしろそれは極端だと思います。しかし、用語の違いが有るだけでなく、それによって理解できなくなるのです。例えの話ですが、「役不足」と言う言葉を誤用しただけ、のようにスルーできる話ではないです。そもそも人物像が明らかに違います。だから、「純粋に出典はどこかと聞いているだけ」に過ぎません。あと誤解ですが、「倉山さんが出典を訪ねる前から」新自由主義の出典を疑われていました。最近降って沸いた話ではありません。ご存知かもしれませんが、これについても一応書いておきます。話はそれますが、これは私の倉山さんについての見解です。増税が決定した直後に、”この場のように反論できる環境”ではなく、よってたかって動画で「お前のやってることはプロレスだ」と一方的に言われたら誰でも頭にきますし、そう考えれば同じ気持ちです。ですが、それがきっかけではない事は付け加えておきます。
     話を戻します。「リフレ派の政策はトリクルダウンだ」というのも誤解です。まず、リフレ政策で是正されていくのは、弱者である低所得者、失業者です。この根拠は、
    出典:労働力調査(基本集計) 平成26年(2014年)3月分 (2014年5月2日公表)ttp://www.stat.go.jp/data/roudou/sokuhou/tsuki/
    の、2013年の平均の完全失業率4.0%から、2014年の3.6%に下がっています。下は2014年3月のことです。
    >完全失業者数は246万人。前年同月に比べ34万人の減少。
     ついでの話ですが、三橋氏は実質賃金が下がったと各所でコメントしていますが、名目賃金と消費者物価指数と、完全失業率を見なければ(話をしなければ)誤解していると受け取られます。「実質賃金が下がってる」と言う言葉を、文脈から否定的に使っているのはわかりますが、それがどんな意味をはらんでるかこちらとしては推測できかねますし、下がったからこうしなさい、とかそういう言葉も今のところ確認できませんでした(賃金を上げなさい、がそれかもしれませんが)。当たり前ですが、実質賃金は名目賃金を消費者物価指数で除したものだからです。ここで、「だが安部政権発足以来現在進行形で生活保護受給者がピークになっている」と答えるかと思いますが、それについては後で答えます。ただ、三橋氏から、新古典派経済学の「需要と供給の分析」と「消費者余剰と労働者余剰」と、最初の返事のコメントの、
    >政府によって実施される財政政策は、財政支出による一時的な所得の増加と乗数効果によって景気を調整しようとするものであるが、フリードマンによって提唱された恒常所得仮説が正しいとすると、一時的な変動所得が消費の増加に回らないため、ケインジアンの主張する乗数効果は、その有効性が大きく損なわれる。
    出典:野口旭 『「経済のしくみ」がすんなりわかる講座』 ナツメ社、2003年、71頁。
    >フリードマンは、ケインズ政策はスタグフレーションに繋がるとし、ケインズ政策の実行→景気拡大→失業率の低下→インフレ期待の上昇→賃金の上昇→物価の上昇→実質GDP成長率の低下→再び失業率の上昇というメカニズムで結果、物価だけが上昇すると主張している。
    出典:竹中平蔵 『経済古典は役に立つ』 光文社〈光文社新書〉、2010年、200-201頁。
     この出典の現象にどんな見解をもっているのかわかりません。むしろ批判してもらわないと困ります。
    >世の中がインフレ傾向になれば三橋氏は新自由主義的な政策に賛成すると仰っていましたよ(移民政策には断固として賛成しないと思いますが)
     このことついては良く知っています。前のコメントで省いた理由は、文字制限があると誤解したために三橋氏の話によく登場するものについては省きました。話を戻して、ただそれは(移民を除く)、三橋氏が答えたのは「一般的な認識の新自由主義」批判の”一部(本来の意味)”に過ぎません。”つまり本来の新自由主義政策と言うのは、「インフレ時にだけ行う政策」なんだ”と発展させるのは誤解です(ついでに私も移民に反対です)。というのは、「デフレ下でも効果の有る新自由主義政策」があるのに、その政策をとらない事態が起こります。現にリフレ派と食い違いが起こっているのはその政策の誤解です。それから(建設業の)仕事現場の「事情」を取り入れなければ、ケインジアン側は「(要約すると)デフレ下だから、お金も仕事もあげているので問題ない。」となってしまいます。
    【明るい経済教室】深刻な供給能力不足、労働市場正常化への処方箋[桜H26/2/12]ttps://www.youtube.com/watch?v=SyYGlpg1Zg0
    一人で話しても仕方がないし誤解を受けるだけなら周りに迷惑なので考えてから続けるとおもいます。
    3つ目へ続く

  30. マルクス経済学→シカゴ学派→新自由主義

    国家の枠組みや、民族意識を無視して
    市場と企業。人間は単なる生産手段か消費者。
    その国の道徳原理より市場原理を優先。
    唯物論の資本主義。

    ローマ帝国にユダヤ人が入ると奴隷という移民が流入した。
    畑を耕す筋肉ムキムキの王はいなくなり
    堕落と腐敗した市民の共和政治。

    毎年、天皇陛下が自ら田植えをするのは何故か?
    新自由主義的に輸入米の方がコストが安いじゃん?

    米や塩など自給できる分野に必ず米国はコストで破壊を企てる。
    最近は、アボカドを日本人に食わそうとする。

  31.  フリードマンは、文化をわざわざぶち壊す、グローバリストだ。>違います。保守主義者です。モンペルラン協会で活動。政治的、軍事的理由から妥当と考えられる計画的介入(ルール作り)。
     フリードマンは、ハイエクと逆の政策だ。>違います。通貨政策以外大体同じです。
     フリードマンは、何でもかんでも規制の緩和した。>違います。政治的、軍事的理由から妥当と考えられる計画的介入(ルール作り)。
     フリードマンは、大企業の利益のための経済学を考えた。だから賃金を下げようとしている。>違います。黒人等有色人種と白人の格差をなくすため考えました。新古典派経済学の「需要と供給の分析」と「消費者余剰と労働者余剰」を見てください。
     フリードマンは、人を道具のように考える経済人だ。>違います。新古典派経済学の「需要と供給の分析」と「消費者余剰と労働者余剰」を見てください。
     フリードマンは、ノーベル経済学賞を取ったが、ノーベル平和賞みたいなものだった。>違います。スタグフレーションを防いだ功績があります。
     新自由主義は、インフレ対策でしかない。>違います。新古典派経済学の「需要と供給の分析」と「消費者余剰と労働者余剰」を見てください。
     新自由主義は、グローバリズムだ。>違います。保守が起源です。モンペルラン協会作って広めました。政治的、軍事的理由から妥当と考えられる計画的介入(ルール作り)。
     新自由主義は、シカゴ学派だけが起源。>違います。ハイエクはオーストリア学派です。シカゴ学派は新古典派経済学。
     新自由主義は、合理主義、コスト重視だ。>違います。有色人種のような弱者だった人から仕事がえられるようになっている。
     新自由主義は、レッセフェールだ。>違います。規制緩和に目が行きすぎでルール作りをしている事を見ていない。政治的、軍事的理由から妥当と考えられる計画的介入(ルール作り)。
     出典は上にあるから書きませんでした。

     三橋貴明氏は、チャンネルアジャーでアダム・スミスは「神の」見えざる手の「神の」は言ってない訂正したのに、新自由主義に関しては何もコメントしないのは何故か。
     木下批判するなら安部批判もしろと言うのもわかります。そもそもしてますし。ならば、フリードマン批判するなら、ハイエクも批判しなければいけないことになる。

  32. 凄い努力です。二日酔いに聞く様。
    結局、私のような横暴な奴に説得力など無いのです。
    人の心を動かすのは人以上の努力と真実優しさ勇気等です
    分かっていても難しい。
    そういえば様、言葉足らずに冷たい書き方をしてごめんなさい。
    貴方もこの国の事を考えての行動なのですよね。
    意見が違っているだけですよね。
    本当にごめんなさい。
    大切なことを気づかせて下さってありがとうございました。

    倉山先生、砦の皆様ありがとうございました。
    これを期にネットは控えめにたくさん本を読んでいきます。

  33.  ”新自由主義とは何か”を語ることが、あまり意味の無いことに気づきました。
     ここで仮説を立てます。「終身雇用は社会主義政策」です。それから、三橋氏は
    >動画(49:59ごろ)「(世界は今こういう問題がある。)ぶっちゃけグローバリズム対ナショナリズム。」
    出典:3/3【討論!】亡国への道か?『移民大量受入』と日本[桜H26/4/12]
     と答えました(他には、非民主主義対民主主義・新古典派経済学対ケインズ的経済学)。しかし、私は「グローバリズムと共産主義が、どっちがいいか馬鹿馬鹿しい対決をしている。」と、この2つのが正しいという前提で話します。

     昔、三島由紀夫が自衛隊市ヶ谷駐屯地で演説をしました。
    >「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このままいつたら「日本」はなくなつて、その代わり、無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るであらう。それでもいいと思つてゐる人たちと、私は口をきく気になれなくなつてゐるのである。」
    と、演説の後自決しました。バブル時代のことです。バブル時代といえば終身雇用が達成できた時代です。つまり、WGIPが成功してしまった事に当時の人達は、日本は滅んでしまったと考えたわけです。ところが、後にバブルは崩壊しましたが、このとき日本人は「社会主義政策など成功し続けるはずは無い」と気づくべきでした。しかし、今は保守言論人を名乗る人たちまでが「終身雇用は達成できる。昔できたのだから。そもそもデフレ政策をやったから崩壊したんだ。」と言って当時を懐かしがっているのです。

     終身雇用といえば、ご存知かもしれませんが、5/10に「激論!コロシアム」という討論番組に竹中平蔵氏と三橋貴明氏と藤井聡氏が出演して、雇用問題として討論をしていました。以下そのやり取りです。
    >竹中「だから、両方共、両方共解雇なんか簡単にしちゃいけないんです。でも、やむをえざる解雇せざるを得ない場合もあるので、そういうルールを明確にしておかないと。一部の人は滅茶苦茶切られて、一部の人だけがすごく守られていると。守られている人は全体の2割しかないと。」
     今の正社員の制度を維持したままで日本経済は回復できるのか、という竹中氏の問いに対して、
    >藤井「”守られすぎているか”は議論の対象で、まだ断定できない。(守られすぎていない)可能性はあります。(維持したまま回復は)当然できますよ。」
     と答えた(文字起しに時間がかかるので一字一句は違います)。上で挙げた仮説でいうと、一体誰が保守なのか訳が判りません。そもそも「終身雇用は社会主義政策(日本文化ではない)」のですから。では何故保守的に見えるのかを簡単に言うと「スターリンの目指した”国内だけ”で完結する社会主義政策(一国社会主義)」と一致するからです(鍵括弧の中は馬渕睦夫氏の言葉の引用ですが、氏が今の日本ををそう考えていると言うつもりはありません:動画1:50ごろ)。前提を当てはめて言えば、この議論はまさに「グローバリズムと共産主義の戦い」で、保守なんてマイノリティーの思想を持った人など入る隙すら無いのです。それからあくまで個人的には、主婦と言うのも終身雇用みたいなものだと考えているのですが、反対派は家庭を破壊するから、新自由主義者だ、グローバリストだといっているのです。今バブル期で成功した政策を守り続けようと夢見ていますが、「そもそも日本文化ではない」のです。これが「一般的な認識の日本文化」と言うのなら、憲法9条も日本文化です。
    言葉の引用:討論・暴論・強硬論 平成26年4月号 「ウクライナ問題を語る!」 第4回 宮脇淳子 馬渕睦夫 桜林美佐 上念司 倉山満【チャンネルくらら】ttps://www.youtube.com/watch?v=m5vSa0HnL7E&list=PLRaNqHpjzx_dWnbpuLGN1jZo2aFuNjEx0&index=4
     動画を見るとグローバリズムと社会主義の対立がわかります。こんなことをまだやってます。誤解を受けそうですが、ユダヤの陰謀といっているわけではありません。

      あくまで仮説でしたが、日本は本当に自由主義で保守の経済大国なのでしょうか?言い過ぎはともかく私には中国の様な社会主義・共産主義陣営の国のようにしか見えません。どれだけアメリカにむかついても、自由主義陣営につかないと本当にお終いになる状況だと思います。そもそもアメリカのものになるか、中国のものになるかでしかないです。

     最後に付け加えると、今正しい保守的政策を取ったとしても、新自由主義者はアメポチというナンセンスな一言で終わってしまう状況になっている事がどれだけ非常事態か考えないといけません。石橋湛山の根本病です。

  34. *難しい(易しい)さん
    あせらないで下さいね。マイペースでの日々の努力が、ある日突然おもいもよらない成果になって現れる事があります。

    おばあも少しでもあとをついてゆけるように勉強しますが、残された時間には数倍の差がありますね〜、でも焦らずに丈夫で長生きする予定です。(笑)
    でも最近、思い切り口が悪くなったのですが、ここはその点は自由ですから・・(笑)

    コメを読んでいると、日本は「いつまでたっても悪くなるばかり」という人もあれば、
    「昔と比べると、変わった、良くなった」というご意見もあります。
    私は少々楽観的なので(信念を持って)後者になりますが、
    実際のところは、どちらも「そのとおり」なのでしょう。
    「あっち」と「こっち」が力一杯せめぎ合いながら、矛盾や膿を出して、
    世の中(世界)が大きく変化してゆく激動の時代なのだろう、と思います。
    大きく変動してゆく世界をどうしたいのか、青写真を持たねばなりません。
    だから、どうぞしっかりと精進して下さいね!
    それが実を結ぶときが、必ずやってくる。

    問題なのは、我々団塊の世代で、今を守りたいだけの「保守」が多いです。
    これでいいやんか、今まで通りやれば平和・安泰、と思っている人たちです。
    おまけに、左翼思想(いわゆる平和思想)に染まっているという自覚も無い。
    いっぺん、がつんと何かでショックを受けねば治らないのでしょうが、
    その「がつん」が起きてからでは、被害が大きい(泣く人が出る)からねぇ〜
    年寄りの愚痴はこの辺で・・・今度こそ、黙って勉強しなくては。

  35. 少し視点を変えてこんな報告をさせていただきます。

    こんな考え方があります。

    「帝国主義論」レーニン 光文社

    P51 6行目

    競争は独占へと変容する。

    この危惧がつきまとっている人がいるのかと思います。
    しかし、この独占には下記のように考えている方々もいらっしゃいます。

    『自由と市場の経済学』
    マーク・スカウソン

    P214~215

    唯一の売り手あるいは価格を支配する売り手集団(カルテル)というものではない。

    政府による特権の付与である。
    故に政府が独占状況を改善する方法は唯一、その特権を剥奪することである。
    従って、反トラスト法は少しも「独占を弱めることは」できず、効率のいいビジネスに対して、その日気分の嫌がらせを続けるだけである。

    マレー・N・ロスバード

    市場ではなく、政府が独占力の源である。
    政府交付の免許、公的利便性証明、フランチャイズ、関税などの規制措置が特定の企業を競争から守り、そうした企業のために独占や独占力を作り出す。

    D・T・アーメンターノ

  36. あのう、*34さん、
    これ、経済論にはなっていませんが、考えてしまいました。

    「終身雇用は社会主義政策である」という仮説で、思いっきり躓いて、たたらを踏んで、先に進まなくなってしまったのですが・・・
    それでも、仮説を何とか考え考え飲み込んで、先に進んだのですが、
    今度は、「社会主義政策(終身雇用)は日本文化ではない」というところで、どうにもこうにもならなくなりました。
    終身雇用は、日本文化そのものだと、私は思っていましたので、
    *二日酔い・・*さんの仮説からの三段論法によれば、私には「日本文化は社会主義政策である(正確には、であった)」となってしまうのです。
    (べつに、なっても一向にかまわないのです・・・ただし、他国の社会主義とは違う)

    「バブル期だから成立した終身雇用」なのではなく、終身雇用だから高成長があったのです。
    高成長ができなくなったのは、「日本文化ではない終身雇用」のせいではなく、
    別の原因があるはずです。必ずあります。

    終身雇用の問題点(年功序列とか、無駄な人員とか)は、出尽くしたようですが、
    かといって、転職や解雇が当たり前の実力競争主義は、日本にはなじまない。
    実力競争は、やっと端緒についたばかりで、まだ上手く使いこなせていないだけだ、
    という意見もあるようですが、これを極端に進めると日本が破壊されると思います。

    実力主義は、思いっきりアメリカ文化です。
    実力がすべてを決めるとなると、仕事を得るために、高給を得るために、実力があろうが無かろうが、とにかく自分を売り込んで認めさせる努力を強いられることになります。
    本当に人に秀でた能力がある人は、おそらく2〜3割で、あとは普通でしょう。
    でも自分を普通だと言ってしまったら、即、負け、になる社会が実力主義の社会ですから、普通の平凡人は、自分をも人をも誤摩化して「能力があります、実力があります」と売り込まなくてはなりません。
    こういうやり方を好むか好まないかは個人の自由ですが、常に相当なストレスが発生するでしょうし、また受ける側にも「売り込みを捌く」という新たな仕事(非生産的な無駄)が生じます。

    日本文化とは、普通の人が普通に幸せになれる文化だと思うのです。
    それが終身雇用だったはず。

    何かを得れば何かを捨てねばなりません。(負の部分が出てくる)
    たとえば、日本特有の親子心中が無くなったら、赤ちゃんがコインロッカーに捨てられる事件が起きるようになりました。(個人の権利尊重の負の側面です)
    終身雇用を捨てて(終身雇用の問題点も捨てて)個人の実力が認められる合理的な働き方になって、その代わりに捨てることになるのは、何か?
    そういう視点もふまえたうえで、現実に即して考えて頂きたいと思うのです。

    日本人に合った民主主義や社会経済が、あると思います。
    これからは、それをあらためて模索する時期だと思います。
    (また書いてしまった・・・皆さん真剣なんやもん・・・つられるわぁ。もう夜中の・・あかん、寝る。)

  37. ばあちゃん様
    ありがとうございました
    ガツンと来るのが外国からなら怖いですが
    本物の保守からなら頼もしいですよね。
    期待いたします。
    私はとりあえず、わかりやすいものから興味を引くものを
    地道に、楽しみながら読んでみます。
    今日も寝不足です。
    ここにコメントしてしまうとつい後が気になり見にきてしまう
    でも、今日は見にきてよかった。お礼が言えた。
    私はこのコメントで書き込むのを最後にします。
    ばあちゃん様どうか末長くお元気でいてください。
    (たまに見には来ますので)

    管理人様、倉山先生ありがとうございました。
    陰ながら応援させていただきます。

  38.  そういえばさんへ 3つ目
     文字数がおおくて無理、トンデモと認識されると周りに迷惑なので最後にします。個人的に完結するために書き込みます。あくまでリフレ派を支持する人の中の一人の意見です。
    >では本来の意味の新自由主義的政策として実行されたものとして具体的に何があげられるでしょうか?例えばですが、従来型の新自由主義的政策としては有名なところでタクシー事業や派遣労働の参入障壁の緩和などがよくあげられます。
     小泉政権のスローガンみたいなものに「聖域なき改革」と言うものがありました。つまり本来の新自由主義の「政府はルール作りをする審判役として必要」という前提を無視しているため、自由放任かそもそも「思想は無い」のどちらかです。そもそもハイエクもフリードマンも推進していない。「一般的な認識の新自由主義」政策といわれるものでは、郵政民営化がありましたが、私は利権の関係だと思います。思いつくのはこれくらいでした。

     今やっている・これから実行されそうな政策。
     ・TPP(ハイエクの言葉から近いものだと思います。ISDSやラチャット規定の誤解・出典:ttp://megalodon.jp/2014-0419-1756-16/taste.sakura.ne.jp/static/farm/society/tpp_isd_dema.html
     ・期限付き外国人労働者(技能労働者は政治的妥当性だけは認められる可能性があります”オリンピック・国土強靭化のため”。ただし、フリードマンやハイエクが推進したという事実がないため、レッテル張りのような形で認定されます。)
     ・建設業の高騰する工賃を見直す(フリードマンのとった財政政策から認定)。
     ・道州制(わかりません。多分廃藩置県の歴史があるからそれを壊す、と言いたいのかと思います。)
     以上です。そもそも新自由主義者がやっていないことを個人で認定できません。レッテル張りのように推測するしかできません。断定できる出典を待ちます。

    >>ばあちゃんさんへ
    >転職や解雇が当たり前の実力競争主義は、日本にはなじまない。
     実力社会がなじまない理由が少しわかりませんでしたが、企業側はニーズに合った人材かわからないと怖くて雇用し辛いと思います。そらから、解雇についても明確なルールがないならなおさらです。実力社会が問題と言うより一部の実力を持った人が「富の収奪」をすることがいけないのです。談合があったのはわかりますがバブル時代でも仕事現場は全て実力社会のはずだと思います。それから、競争があるから格差が生まれると言うのも「富の収奪」があるからだけでいわゆる「日本ダメ論」からなるものです。バブルでも実力社会だったといえる理由は、窓際族など年功序列があっても出世街道から外れるケースがありました。それからバブル時代多くの人が就職できた建設業も、今では資格を持っていなければ厳しい時代です。なぜなら、当然木造建築ではなくて、防音設備や床暖房などの顧客のニーズに答える必要が出てきた事と、あらゆる業種にいえますが作業の効率化で人員が削減されたなどが原因だと思います。それから雇用の問題は日本は歴史を見ても一貫しておらず、終身雇用の時代も有れば、熟練工ほど転職して、5年以上同じ会社に勤める人は数割だったと聞きます。理由はよりよい給料を求めたからです。それらを行ったり来たりしているに過ぎ混ぜん。一旦ここでは、なじむ・なじまないと言うより仕事自体が実力競争社会だと結論付けます。
     それから政治的な面で言えば軍事兵器・宇宙開発に関しては競争に負けていい分野ではありません。バブルの頃競争がなくてよかったというのは、アメリカの核の傘に居たせいであって錯覚です。
    >「バブル期だから成立した終身雇用」なのではなく、終身雇用だから高成長があったのです。
     そして、現在の企業はと言えば、特定の実力者(熟練工など)を退職金・高待遇などで囲い込んで退職させず、そのために実力のない人が首を切られているというのが現状です。竹中氏が全て間違っているわけではありません。つまり今の雇用状況を維持しようとすればするほど弱者は切り捨てられると言う仕組みなのです。終身雇用が理想的ではないという話ではなくて、こだわらずに柔軟に換えればいいだけの話です。
     誰でも幸せになれる社会だったのは、「敗戦後の復興」と「人手が全て」で、今のような「高度なエンジニアリング技術が必要な機材がなかった」という偶然が合いまったことで出来たとのだ思います。できればそれでいいのですが、少なくとも今は15年以上続いたデフレをどうするか、クリアすることが先決だと思います。つまり今と昔は違うのが現実で、同じ事をしようとしても難しいと思います。
     アメリカが失敗したのは富の収奪と、資本家などの金持ち優遇の税率(富の再分配ができない)にしたからで、失敗したと言うより、違法な移民や教育などを受けられずに居る人が多すぎること、無責任に自由放任にしたのが理由だと思います。人員の過剰供給もです。

    >本当に人に秀でた能力がある人は、おそらく2〜3割で、あとは普通でしょう。
     ちょっと理解し切れてないのですが、この2〜3割の人たちが仕事を独占(レントシーキング)して、普通の人たちが定職に就けないということですか?そう言うことだと仮定します。例えば競争の結果、大企業だけが生き残ってそこに業界の2〜3割の優秀な人が集まったとします。しかし、日本の産業の多くは技術職で、多くが中小企業です。その多くが大企業を支えていると言う構図なのです。つまり、大企業は中小企業無しでは製品を作ることは出来ません。ITなどでも下請けの力が必要です。要するにこれも、一部の実力者による「富の収奪」を防ぐことだけが問題だと思います。
     特定の定職に就けないことを「あきらめて下さい」と言うことは、実力社会だからと言うわけではなく昔から常識だと思います。年功序列があっても現場は実力社会なのは変わらないと思います。バブルの頃は就きたい仕事に就けないから建築業に就いたとよく言われていました。それが今後、介護や飲食業など人手と比較的資格が問われないの別の職業になるだけかと思いますし、インフレを維持することと、セーフティーネット(生活保護の仕組みや技術・能力開発)の役割のほうが大きいと思います。
     少し極端かもしれませんが、2,3割の優秀な人たちが、全て彼らだけで完結するような社会を作らない限り、あまり考える必要な無いかとおもいます。あくまで「競争がいけない」ことや「終身雇用」にこだわらずに「富の収奪」と「所得の格差」を見る必要があると思います。

    >たとえば、日本特有の親子心中が無くなったら、赤ちゃんがコインロッカーに捨てられる事件が起きるようになりました。(個人の権利尊重の負の側面です)
     こちらは1971年ごろのバブルの話であれば、これは全体主義だと思います。家庭と言うコミュニティから赤ちゃんは外されて捨てられたと考えます。解釈の話よりも単に戦後教育の弊害と、そもそも「人を殺してはいけない」という近代文明のスタート以前に戻っていることが問題です。親子心中に関しては死生観の要因が大きいと思います。

  39. *二日酔いに聞く*さん、ご返答をありがとうございます。
    非常に興味深いご意見でした。どのご意見もごもっとも、なので反論はありません。
    それよりも、二日酔い・・・さんとガチの議論にならないのは、
    基本的なところでの思考形態に、何がズレを感じています。
    あらためて、人の意見を理解するというのも簡単ではないのだと実感しました。

    論理的思考は苦手ですが、なんとか整理してみました。
    おそらく、二日酔い・・・さんは、社会制度から人間をという順番で思考を発展させてゆく方なのだろうと思いました。
    社会制度(政治・経済のありよう)を考えるのが基本で、人間のありようが後に来ている。社会制度のほうから人間のありように言及なさる。
    男性、特に政治経済を学ぶかたは、そうなるのが当然だと思います。

    でも、私の思考は、どうしても人間のありようが中心に来るのです。
    人間がこうだから社会がこうなる。人間が変わるから社会が変わる。

    どちらの考え方も真実に近づくと思います。
    そして、社会と人間、共に同時に影響し合うものでしょうね。

    人間のありようの例が、「秀でた能力があるのは2、3割」という考え方です。
    (2割だから仕事が技術が具体的にどうなる、というのではないのです。
    具体的な職種などはまた次元が違う問題になります。)
    どの世界でも、秀でた能力を発揮する人は2割程度、と見ているのです。
    あとは秀でた人の影響を受けて、まねたり努力して一人前になれる普通の人。
    だから社会を支えている中心は、この6割の普通の人なのだと思っています。
    普通の人がそれぞれの持ち場で責任を果たすから、社会が成り立つ。
    これこそが、とても大事な事で、普通の人が普通に幸せに暮らせない社会は、良い社会とはいえませんよね。
    で、あとの2割が、普通の人から助けてもらったり、迷惑ばかりかける人。
    これは、差別ではなく、事実を言っているだけで、
    10割全部がそれぞれの持ち場で支え合っているのが社会だと・・・
    これがおばあの「2対6対2」の法則です(生意気に、言わせてね)(笑)。

    学級クラスをみても、この法則が当てはまると思う。
    2割の秀才と6割の普通の子と2割のおちこぼれ。
    クラスで学ぶには全部必要。社会の縮図。
    そして先生が指導するとき最も中心に置くのが6割の生徒。
    政治家だって、2割の優秀な議員と、6割の不和雷同と、2割の害人。
    良い方向でも、悪い方向でも、この付和雷同の6割を味方につけなければ、何も出来ない。
    だから、2、3割の人だけで完結出来る社会は、おっしゃる通り、ありえませんね。
    この2割の人が、高潔な心の持ち主であれば、富の収奪は無く、皆が暮らしやすい社会になりますね。
    昔の日本は、比較的、そういった傾向にあったように思いますが・・・

    「親子心中と捨て子」の問題も、おばあは人間側からの法則(?)を言いたかったのですが、
    舌足らずで説明になっていませんでした。ごめんなさい。
    明日は早起きして出掛けねば・・・という事情で・・・おやすみなさい。

    ご意見のおかげで、とてもためになる楽しい時間でした。ありがとうございました。

  40. >ばあちゃん様 >二日酔いに聞く様

    何やら議論になっているようなので私も少々書き込んでみます。
    ただ、私は経済学者ではないので、素人意見になる事をお許し下さい。

    経済学、政策、議論の目的は、皆を豊かにする事だと個人的には考えております。
    で、日本が経済的に豊かでなくなってしまったのは何時か?を考えた時に、
    消費税の導入と、日本銀行のデフレーション政策からです。
    この二つをどうにかしない限り、他の政策及び議論は小手先に過ぎないと考えます。
    「談合が悪か?」「フリードマンは新自由主義者か?」「聖域なき改革は善か悪か?」
    「終身雇用は社会主義政策?」「終身雇用は善か悪か?」「実力主義は善か悪か?」等々は、
    上記の二つに比べたら、ハッキリ言ってどーーーーでもいいのです。
    (我ながら酷い事書いてるな・・・真剣に議論してらっしゃる方々にお詫び致します・・・)
    で、そのどうでもいい事をいちいち真剣に議論しているのが、
    倉山先生他数名以外大多数の、「自称専門家」の方々なのです。M氏など。困ったものです。

    もっとも倉山先生いわく、小手先ばかりで大戦略がなってないのは大日本帝国時代からという事なので、仕方がないのかもしれませんが・・・
    以上です。主観とはいえ、本当に酷い事書いてごめんなさい。

    蛇足ですが、日本の長期停滞に責任がありそうな方がの人物紹介を少々。
    (ウィキペディアなので間違ってるかもしれません、ご了承下さい)

    吉野良彦→大蔵事務次官(1986年〜1988年) 消費税導入時の大蔵事務次官。
    氏は財政再建派であり、竹下登総理に消費税導入を直訴した。

    澄田智→日本銀行総裁(1984年〜1989年) バブル景気を引き起こした時の日本銀行総裁。
    プラザ合意直後は政策放置、その後大幅な金融緩和を行い、市場が混乱してしまう。
    1993年〜2008年まで、「日本ユニセフ協会(アグネス・チャンの方)」の会長を務めた。

    三重野康→日本銀行総裁(1989年〜1994年) バブル崩壊時の日本銀行総裁。
    総裁就任後、大幅な金融引締めを行い、バブル経済を崩壊させる。
    総裁退任後もインフレなき経済成長を唱え続けた。
    中国文学者の高木友之助と親しく、漢字文化振興会の会長等にもなっている。

    こういう方々が矢継ぎ早に出てきてしまった事が、日本長期停滞の大きな原因かもしれません。

  41. 議論とは、全く関係ないですが、無責任なインテリについて言及
    しているものを紹介させていただきます。

    現代は非常に無責任な時代だと思います。
    今日のインテリというのは実に無責任です。
    例えば、韓国の或る青年を救えという。責任を取るんですか。取りゃしない。責任など取れないようなことばかり人は言っているのです。

    信じるということは責任を取ることです。

    僕は間違って信じるかもしれませんよ。万人の如く考えないのだから。僕は僕流に考えるんですから、勿論間違うこともあります。しかし、責任は取ります。それが信じることなのです。
    信じるという力を失うと、人間は責任を取らなくなるのです。そうすると人間は集団的になるのです。自分流に信じないから集団的なイディオロギーというものが幅をきかせるのです。だから、イディオロギーは常に匿名です。責任を取りません。責任を持たない大衆、集団の力は恐ろしいものです。集団は責任を取りませんから、自分が正しいといって、どこにでも押しかけます。

    本居宣長を読んでいると彼は「物知り人」というものを実に嫌っている。
    彼の言う「物知り人」とは、今日の言葉でインテリです。
    ジャーナリズムというものは、インテリの言葉しか載っていないんです。あんなところに日本の文化があると思ってはいけませんよ。
    左翼とか、右翼とか、保守とか、革新とか、日本を愛するなら、どうして徒党を組むんですか。日本を愛する会をこさえたがる。無意味です。
    日本というものは僕の心の中にある。諸君の心の中にみんなある。
    インテリはそこに気がつかない。自分の都合のいいことだけ考えるのがインテリです。反省がないんです。反省がないということは信ずる能力を失ったということです。

    小林秀雄「信ずることと知ること」

  42. >41.FRIA様へ
    >上記の二つに比べたら、ハッキリ言ってどーーーーでもいいのです。
     「石橋湛山の根本病です」と書いたとおり、仰るとおりだと思います。曲学阿世の徒(この場合私も入るのかもしれませんが)には一つ一つ誤解をといていかないと、下の様になります。

    >消費税の導入と、日本銀行のデフレーション政策からです。
     この通り貨幣現象です、と書きたかったのですが、国土強靭化グループで勉強している人にそれを言っても、話を聞いてくれません(極端に言えば、金融よりも財政)。それを言った時点で罵倒の仕合が始まります。何もかもおかしいんです、と言うしか誤解を解く方法はありませんが、バカを見るだけなのでこんな真似はやめます。失礼しました。
     上念さんが「この辺をチャンネル桜の討論などで明らかにしたいと思う」と2013年9月24日にフェイスブックで仰ったので、手伝うつもりでしたがもうYOUTUBEなど見ても罵倒しかないので無理なのかもしれません。同じ情報を共有する人にすら相手にされなくなるのは予想はしてましたが、余計な事をしただけのようでした。
    >出典:ttps://www.facebook.com/tsukasa.jonen/posts/558477670866955
     上念さんに対するコメントの下のほうを見ればわかりますが、そもそも・・・。無限ループ。

    >過去、”貧困”を無くせるほどの生産性増大を可能にするような現実的計画を考え出した者はいなかった。それを「できる」と主張する者は、嘘つきか、自分の言っていることが分からぬ人間でしかない。この誤った希望こそ統制経済、社会主義、全体主義の源である(ハイエク「隷従への道」第七章)

  43. FRIAさんも、石川さんも、「無責任に小手先の理屈で素人を煙に巻くプロ評論家」には憤っておられるようですね。 同感です。
    石川さんのお考えも、至極まっとうに思えるし、FRIAさんが暴論だとも思いません。
    「そんな議論など、どうでもいい」とおっしゃるFRIAさんにしても、専門的な理論が不要だと考えておられるわけがない。
    乱暴(?)な言い方になってしまうほど、憤りが大きいのだと思います。
    それに、お二人とも、おばあから見たら、立派な専門家はだし、や。
    お二人のご意見を読んでいて、鳥肌が(良い意味で)立ってきました。
    熱い心と冷静な頭、やね。

    素人でも、おかしい事はおかしいと、はっきり言っていいじゃないですか。
    専門家や、プロ活動家や、マスコミだけが、発信した時代は終わったのでしょう。
    おばあみたいに、今まで何も言えなかった(言えるとも思わなかった)者でも、
    意見を言う場が与えられるようになった・・・(大切にしましょう)。
    6割の普通の人(素人)の真っ当な意見が表に出てくれば、世の中変わりますよ。
    2割(日本の国を弱くしたい人)が、けしからぬ事を仕掛けているようですが、
    6割(普通の人)が見破って異議を唱えれば阻止出来るはず。
    もう一方の2割が、素人が騙されないように指導的な役割をしてくださっています。(感謝)

     以下は、おばあの鬱憤晴らしです。おめざわりです。(笑)
    近隣諸国に迷惑をかけたのだから謝罪せよという人が、その責任を取るのは国だという。
    言う本人が土下座でもなんでもしに行けばいいやんか!
    国だけでは足りず、なんで子供たちまで巻き込むの!?
    吉田なんとかいう詐欺師が「告白の手記」を発表したけど、当人が被害を与えた相手(と遺族)を尋ねて謝罪して回ったという話は聞いた事が無い。
    告白する位なら、そこまでやるのが本物の良心でしょうに、国に責任を押し付けるだけ。
    あとで「うそでした」と「告白」したらしいけど、うその責任は誰がどう取ったの?

    付和雷同しておけば、責任を取らなくても良いのですよね。
    自分で考える事を放棄すると、責任まで放棄する事になりますね。
    いいとこ取りの、のっぺらぼうですね。
    ちなみに、自称インテリほど日本は悪い事をしたと言うのがお好きなようです。
    たぶん、自分は一般とは違うと、無意識に安全地帯に入っているつもりなのでしょうね。
    もちろんその責任は国にあるとさ!それも人道主義なのかね??

    イデオロギーで制度を作って、良くなったためしがない。
    イデオロギーが人を幸せにしたという話は聞いた事が無い。
    イデオロギーは2割の人のための方便だからね。
    社会制度としての「自由と平等」もイデオロギーだから、矛盾があるのです。
    まともに信じて実行していたら自家中毒を起こします。

    いろんな事に気付かせてくれて、知識も増えて、ほんまに有り難いです。
    いつも、これでおしまいと思うのに、ますます嵌り込み、またまたお邪魔さまでした。        

  44. >ばあちゃん様 >二日酔いに聞く様

    コメントありがとう御座います。
    強烈な非難を覚悟していたのですが、そんな事無かった様で、良かったです。
    暴言書く癖に豆腐メンタルなので・・・(泣)

    それでは、ありがとう御座いました。

  45. 二日酔いに聞くさんありがとうございます。
    すみません。ちょっと時間が無いので簡潔に・・・
    ご回答いただいた「規制緩和による競争促進政策」とは違う「政府はルール作りをする審判役として必要」との概要ですが
    こ、これを概要とするのはあまりに漠然としすぎているんではないでしょうか?
    このいい様だとどんな政策に関しても新自由主義に当てはめる事が出来てしまうのではないかと思います。
    むしろこの新しい概要に当てはまるとされて例に挙げていただいたTPPなんかが批准した場合外国と交わしたルールに縛られてしまうためこの概要に洩れるケースのように思えてなりません。

    先にこのような聞き方をしたほうが良かったかもしれませんね。
    フリードマンさん、ハイエクさん、および2人に関する解説者は著作の中で具体的にどのような政策を挙げて新自由主義的政策として例示されていましたか?
    外国にてなされた施作で結構ですので著書に引用されている事例をお聞かせください・・・
    と聞くのは意地悪ですね。
    引用できる箇所があれば真っ先に挙げていただいているはずですのでやめておきます。

    そもそも私が始めに書き込んだ意図は「そんなこと聞いてどうするんですか?それでももし疑問を呈するのならちゃんとした正解を提示した上であなたは間違ってませんか?」と聞くのが筋じゃありませんかという意見を言いたかったからです。

    あ、すみません。それでは。
    言いたいことはあらかた書けましたのでこれで失礼させていただきます。
    返信いただいた皆様どうもありがとうございました。

  46. まさにこのような、無知を恥じず、自分の理解できる範囲を自ら定めてしまう方が某芸人のたわごとに踊らされるのだと痛感した

  47. 学が無いのでもしかしたら的外れかもしれませんが
    道州制は行政組織の形ですよね

    質問にある新古典派って新古典派経済学ですよね

    経済に政策は関係していると思うけど
    経済に行政組織の形は関係が無いのでは

    極端な話 独裁政権だとしてもどのような経済学にもとづいて政策をたてるかってのはそれぞれありますよね

    全く別次元の話ではないですか?

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