政治論と法律論の混同~衆議院の恣意的な解散は許されるか

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今晩18時に将棋メルマガ出します。題名は「将棋も人生も中盤が大事」。なぜか田中角栄が登場。

さて、将棋好きで知られる憲法学者の木村草太君が、こんなこと書いてた。

衆院解散の手続法を 内閣は議員に理由を説明すべき

要旨は、

・現行憲法では、解散権の明確な規定は69条(基本は内閣不信任案)の場合のみ。

・実務では、7条でも自由に解散できるとなっている。

・学説では恣意的な解散は許されないとしている。7条にも解散は「国民の為」とあるのが、この解釈の裏付け。

・最近の解散(2014,17年)は大義の存在が怪しい。

・そこで、「衆議院を解散する場合、首相は衆議院で理由を説明し、議員から質問を受けるよう義務付ける」法制化を提案した。手続法を法制化すべきだ。

要するに、最近の安倍内閣の解散は恣意的だから、理由を説明するよう、法制化すべきだ、と言いたいらしい。

結論から言うと、100%否定はしないが、政治論と法律論を混同している論としか言いようがない。

まず大前提として、2014年と17年の安倍内閣の解散が恣意的だった。これは同意できる。理由は木村君の言う通り。
しかし、日本国憲法は内閣(実質的には首相)に恣意的な解散を許している。少なくとも禁止する条文はない。
木村君の師匠の師匠の師匠の師匠である宮澤俊義は、吉田内閣の抜き打ち解散を指して、「天皇はめくら判を捺すロボット」と言い切った。吉田の抜き打ち解散みたいなこれ以上ないような恣意的な解散も、今の憲法は許していると東大憲法学が認めた瞬間であり、実務を追認している。
その後、ほとんどの解散が7条解散だった。ついでに言うと、安倍首相だけとやかく言うけど、2012年の野田内閣の解散も、首相が「僕は小学校の頃から嘘つきと呼ばれたことはないことを証明する」という驚愕の理由で行われた。

ちなみに、これは日本国憲法の欠陥でも何でもない。帝国憲法の時から、衆議院の解散は首相の専権事項。総選挙で多数を失った後も居座るのは許されないが、一回だけは理由を説明することなく解散ができた。これは帝国憲法の時代は習律で、今の憲法では条文化されている。

なぜそうなるかと言うと、「恣意的で大義のない解散を行うような首相は、総選挙で有権者が負かせばよい」という思想だから。

そもそも憲法違反に対する最大の制裁は、総選挙で与党を負かすこと。野田内閣は制裁され、安倍内閣は制裁されなかった。これは有権者が野田内閣の解散に正当性を認めなかったことを示し、安倍内閣に正当性を認めたこととなる。

別に、解散理由を衆議院で説明させるのは構わないけど、総選挙中に行うことを、もう一つ手間を増やすだけでは?
木村君の動機は「安倍内閣を負かしたい」だろうけど、法律に頼るのではなく、強い野党を作る政治的努力をした方が良いのでは?

帝国憲法以来、我が国はイギリス型の制度を採ってきた。ところが、本家イギリスもドイツ型の「不信任されたときしか解散できない」という風に憲法改正した。

内閣が不信任されたとき(信任案が否決されたとき)のみ解散できるは、客観条件を示している。それに対し、何が恣意的か、何が国民の為かなんて、客観的な条件ではない。

首相の解散権を制約したいなら、堂々と憲法改正を主張すればよい。ところが、変な政治的解釈を法律論に持ち込もうとしている。議論に混乱がある。