教訓とすべき総裁選挙(1)―2位3位連合

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 今回の自民党総裁選挙、世間では盛り上がったらしい。
 私は極めて冷めた眼で観ていたので、何の感慨もわかないのだけれども。
 世情言われたのが、
「55年ぶりに2位の候補が逆転」
「40年ぶりに決選投票」
「史上初の返り咲き」
ですな。
 ということで、55年前や40年前の総裁選挙を振り返ってみようと思います。
 とはいうものの、はっきりいって『小説吉田学校』レベル。
 これが理解できなければ高校生の時の私以下という話なのでお気軽に。

 昭和31年総裁選挙(二位三位連合)

 鳩山内閣末期の勢力図は以下の通り。
 前年に日本民主党と自由党が合同して自由民主党が結成されていたが、派閥は寄りあい所帯。

主流派…保守合同推進派。
 日本民主党系…公職追放ひどい目にあった組。
  ・鳩山一郎派(河野一郎、石橋湛山)
  ・岸 信介派
 自由党系…占領期に冷や飯だった組。
  ・大野伴睦派
  ・石井光次郎派…最後の自由党総裁・緒方竹虎の後継者。本当は最大派閥のはず。

非主流派…保守合同反対派。
 日本民主党系…政界遊泳者集団。
  ・松村三木派(松村謙三、三木武夫)
 自由党系…占領期おいしい思いをした組。
  ・旧吉田茂派(池田勇人、佐藤栄作)

 以上、石橋、河野、岸、大野、石井、松村三木、池田、佐藤の派閥が八個師団。
 他に派閥が小さい、芦田均・大麻唯男(旧重光葵)・北村徳太郎らは三個連隊と呼ばれた。

 鳩山退陣が決まり、後継者をめぐり話し合いも一瞬で物別れ。
 岸幹事長、石橋通産大臣、石井総務会長の三人の有力候補が次期総裁に立候補。
 最有力は、現職幹事長の岸。

 情勢の推移は以下の通り。

 岸信介を河野一郎の他に実弟の佐藤栄作が支持。
 石橋湛山を三木武夫と松村謙三が支持、ここに池田勇人が合流。
 石井光次郎を大野伴睦が支持。

 岸が圧倒的に有力という状況。
 これをひっくり返したのが、石橋の参謀、石田博英(三宅雪子のおじいさん)。
 この時の石田、当選回数こそ5回(吉田茂がしょっちゅう解散してたため)だけど、議員歴9年なのですね。
 いまだと当選3回の勘定ですな。

 石橋派なんて10人くらいで、総裁選に出ていなければ、師団ではなく連隊のほう。
 石田は、これをパックマンのように倍々ゲームで拡大していく。
 まず、旧知の三木に話をつけて松村・三木派を丸ごと支持に。
 次に三木と一緒に池田を口説いて石橋陣営に引きずり込む。
 石井支持で負け戦を覚悟していた池田にとって渡りに船。
「あなたは石橋蔵相の大蔵次官じゃないですか」に
「そうだ、私の政治外交の師匠は吉田茂だが、財政経済は石橋先生に教わった」などと旧吉田派を分裂させてしまう。
 さらに池田と仲の良い大野に「2位3位連合」を持ちかける。
 つまり3位になった方が2位を推すということ。
 石井は最大派閥だった緒方派の後継者なので「おれが総裁になれる」と勘違い。
 しかし、そんな取引を持ちかけられた時点で、石橋陣営の票読みは石井陣営を上回っていた。

そして、開票結果は?
 岸223、石橋151、石井137
決選では、
 石橋258、岸251

 石田目論見通り、石橋湛山、7票差の大逆転!

 さて、もめにもめたのが組閣。
 岸陣営が「閣僚を一人も出すな」「いや!半分よこせ」などと大混乱。宮中の認証式に間に合わず、石橋が全閣僚を兼任して出席というあわただしさ。
 結局、副総理を誰にするかでもめて、石井ではなく岸を選び、組閣初日には石井・大野両派が反主流派に。

 さて、一日で変転した派閥構図は?

主流派
 石橋派(石田官房長官)
 松村三木派(三木幹事長)
 池田派(池田蔵相)

反主流派
 岸派 (岸副総理兼外相)
 佐藤派
 河野派(砂田重政総務会長)
 大野派(水田三喜男通産大臣)
 石井派(塚田十一郎政調会長)

 石田・三木・池田のトリオは早期の解散で主流派の数を増やそうともくろむが、石橋さんが選挙中に全国遊説のやりすぎで病気に。
 結局、おとなしく副総理として協力していた岸に誰も文句を言えずに政権交代。
 主流派と反主流派が入れ替わったとさ。

 ここでの教訓は「本当の人事は解散総選挙の後だ」ではないことです。
 石橋内閣は与党で、しかも野党が二本斜壊党(あれ?誤植?)という敵として数えなくてすむ人たちでしたから状況が違います。

 石橋さんの時は自民党総裁選に勝てば何とかなるけど、それでも苦難の道だったわけです。
 というか、自民党を結成したばかりでまさか脱党して政界の孤児になるわけにいかず、これしか勝つ方法がなかった訳で。

 今回の自民党総裁選挙の教訓。
 2位になって決選投票で勝つ、という戦略自体がその後のことを何も考えていなかった、ということです。
「政権与党は自民党以外ない」という時代ならいざ知らず、なんで自民党総裁選挙に何が何でもこだわったのか。

 以上、4月までに総裁選挙を前倒しできず、6月以降「総裁選挙ではなく、国会全体を戦場にして戦え」と言い続けた理由です。
 こいういうことを自民党員にぶつけると大概は「事ここに至っては安倍総裁を支えて総選挙しかない」と返されるのですが、「総裁選挙で安倍さんの復帰」を何とかの一つ覚えのように繰り返す人は、
この状況で安倍総裁はどのような党運営をするのか、総選挙にどうやって持ち込み勝つのか、勝った後誰と一緒にいつまでに何をするのかを是非、ご説明いただきたい。
 それを説明していただけたら、早期解散論に賛成しますよ。(嘲笑)

 最近、「ニワカ政治評論家」みたいなのがうようよ湧いてるし、「お前、何年、政治の世界で飯食ってるの?」みたいなのが早期解散自民党政権復帰論を唱えている。

 そういう人たちに、自民党がなぜ長期政権を維持できたかの方法を歴史的事実に即して教えておこう。

「自民党なんかどうなっても良い!日本のためならどうぞ自民党を潰してください!」と本気で、行動で示したから。
 典型的なのが最近の小泉さんですな。
 さて、安倍総裁は本気で自民党をぶっ潰せるか。。。
 だからこそ、件の集会での古屋圭司先生の発言に感涙したわけです。