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そもそも官僚制とは

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 相変わらずの民主の迷走と自民の低迷ぶり。社民党に降りまわされるって、「帝国憲法講義」の聴衆やこの砦の読者の皆様にはおなじみの話ですが、世間では「なぜ?」と思っているようですね。何度も繰り返しますが、日本の運命を決めるのは、来年の参議院選挙です!

 さて、政権交代はしたものの、議会政治や官僚制のあり方、特に民主党は「イギリスに学ぶ」などと言っているけれど、本当のところはどうなのか、という疑問はあるかと思います。

 そこで官僚制を考える上で、読みやすく入手しやすい、良書を三〜四冊、ご紹介したいと思います。まず第一弾は

 木原誠二『英国大蔵省から見た日本』(文春新書、二〇〇二年)

から。

 木原氏は「帝国憲法講義」の主催会社で何度も講演をしている政治家の方なので、お噂はかねがねお聞きしているのですが、直接の面識はまだありません。ただ、前々から同書には注目していました。木原氏は、大蔵省(現財務省)から英国の大蔵省に出向した経験があり、同書もその観点から実務が詳しく紹介されています。予備知識がなくても、日英文化比較論としても読めると思います。また、英国憲法の知識があればなお、深みを堪能できるでしょう。残念ながら今回の総選挙では落選してしまいましたが、御健闘をお祈りいたします。

 同書から離れて、官僚制についての基礎知識を。まず、中華帝国の官僚制は、外戚や宦官に対抗する皇帝の藩屏としての人材を登用するために導入されたわけです。見落としがちなのは、他民族国家である中華帝国における公文書である漢文を扱う言語オペレーターが必要だったという特殊事情もあります。だから科挙みたいな途方もない文字暗記試験が必要だった訳です。

 欧州で中華帝国の科挙を本格的に真似したのはルイ14世などと言われますが、絶対主義確立の為には国王の藩屏として、特権階級である教会や貴族に対抗するために官僚が必要だった訳です。中華帝国の科挙と同様、試験を受ける=受験勉強ができる階級など、富裕層しかいないのですが。

 中華帝国にしても欧州の絶対主義にしても、特権階級や門閥に対抗する為に官僚制を導入して、国王の下で階級を超えた抜擢人事を行った訳です。

 翻って、我が国では。平安時代は無能な官僚制が蔓延したと言われますが、律令の導入時に科挙を骨抜きにしたので、歴代中華王朝のような弊害はなかったと言われています。最後の院政にしても、貴族社会では絶対に登用されないような身分が低い有能な実務家(=ノンキャリア)を抜擢する為に必要な改革だったとの再評価もあるくらいですから。

 三つの幕府時代は、政治家=大事なことを決める人、官僚=決められたことの中で細かい事を実行する人、仕事に詳しいので将軍に意見具申できる、という制度があった訳です。もちろん、今の価値観から見れば身分社会の制約があったので不備はあるのですが、その時代としては合理的な判断をしています。詳細は省くとして。まあ、議会が無いと政治家と官僚の区別はつきにくいのですが、「決める人」と「やる人」の上下関係はしっかりしているのは間違いないです。

 さて、近代において。東京帝国大学法学部の学生は無試験で高級官僚になれました。そもそも東大法学部は、大学を名乗っていましたが、官僚養成専門学校だったのです。あまりにも特権が強いので試験制度を導入して他の大学にも門戸を開いたのですが、試験の中身は東大法学部の授業内容そのものだったのです。試験問題の作成者が東大法学部教授ですから、先生の書いた本の内容を覚えて書けば試験に受かるのです。その他の大学の教授も試験委員に一定の枠内で採用されて今に至っています。戦前は東大法学部教授でも、美濃部達吉のような立派な方の説が通説でしたから、まだ救いがあったのですが。戦後は・・・その内、ゆっくりお話しましょう。

 では近代日本の官僚、誰に対抗しようとしたのか?

 戦後に限ると、

自民党政治家=選挙で忙しいので政治などできない。

キャリア官僚=政治家の代わりの仕事をさせられる。(局長以上)

キャリア官僚=ノンキャリアを使い、上手く捌くすべを覚える。(局長未満)

ノンキャリア官僚=本来の官僚の仕事をする。一つの部局に留まる。

 という、構造ができあがって、それに無理が生じた訳です。政治家がマトモであれば、キャリア官僚制などいらないのです。風越信吾(佐橋滋とは言っていない)のような、試験に受かった官僚は選挙で選ばれた国民などより偉いなどという勘違い官僚が跳梁跋扈する余地はここにあるのです。ちなみにその試験も面接重視ですので、もちろん学閥人事の横行です。それで優秀だったらまだ救いがあるのですが、戦前は敗戦で破滅して、戦後は拉致された自国民を五人しか取り返せないに始まり・・・(以下略)。結局は戦前の官僚だって使いこなしてくれる元老がいないと正気を保てないわけです。そもそも官僚と言うのは職人の一種であって、政治家とは対極にある仕事なので、そんな役割を求める構造自体がおかしい訳です。

 常に戦争に勝つ事を考えて憲法体制を作った英国の政治家と官僚のありかたを大雑把に言うと、政治家が「やってよい。(あるいはやめろ)」と決断をくだし、官僚が実際に行う。「いつどのように」は現場の官僚に任される、という関係です。元老が健在であった時代の日本もそうです。

 現場の官僚があげる情報を判断できないから官僚が国策を決めるに等しい状態が発生する、などとなると、昭和七年から二十年までに十三代の内閣が交代するなどという事態になってしまうのです。

 最後に、サッチャー改革の教訓から、木原氏が強調されている事を。

 外国から学ぶのも大事だが、それ以上に大事なのは自分の国の歴史から学ぶこと。サッチャーは、当時成功していても国柄に合わないことが絶対にある日本やドイツではなく、ヴィクトリア朝の英知にこそ鍵を探した、とのことです。

 私も憲法体制をはじめ英国から、あるいは他の国からも学ぶことは多いと思いますが、それ以上に大事なのは、先人達の英知を学ぶことだと思います。伊藤博文や井上毅が帝国憲法を作る時にそうしましたし。

 ちなみに、キャリア官僚制など百害あって一利なしと思っていますが、個々の官僚の人には、キャリアとかノンキャリとか関係なく優秀な人は優秀と思っていますので、間違ってもそこは誤読しないでください。問題は制度です。今のキャリア官僚制は、働く人である公務員にも、行政の奉仕を受ける(ことになっているのにお上意識だけは強い)国民にも、国家にも不幸な制度だから、やめた方が良いということです。