「データを見ろ」が何の証明にもなっていない理由(倉山塾メルマガより)

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世の中には
「データを見ろ」が口癖の言論人がいます。
生データを見せて、ドヤッ! って。

それ、何の証明にもなっていませんから。

たとえば
「現在の経済成長率は1.5%だ」
というデータがあって、
「全然、デフレ脱却できていない」
という人もいれば
「ハイパーインフレが近づいている!」
という人もいます。

論理は、主張・証拠・根拠の三つがそろって
始めて証明されたことになります。

証明と言うからには、
本当はもっと緻密な条件があるのですが、
最も原始的にモデル化したら、
「論理の三角形」になります。

その中で、主張と証拠はわかるけど、
論拠はなじみが無いかもしれません。

たとえば、

主張:コロナウィルスは生物兵器である。
証拠:ナントカ先生が権威ある学会誌に論文に書いている。

これが何の証明になっていない理由、
説明できるでしょうか。

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「「データを見ろ」が何の証明にもなっていない理由(倉山塾メルマガより)」への2件のフィードバック

  1. 証拠(データ)煮たいして判断基準となるのが論拠、判断技術部から導き出されたのが主張では?
    論拠の例として、* p< .05などがあるかと。

  2. 誤:煮たいして 正:に対して
    誤:判断技術部 正:判断基準

    すいません間違いです。

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