国家社会主義とは何か(倉山塾メルマガより)

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本日は、参議院選挙の公示日。
17日も選挙戦がある。
大変だ。
やってる人も大変だけど、
参議院選挙は日本の運命を決める選挙。
衆議院で勝っても、
参議院で負けたら何もできない。
逆に参議院選挙の結果で、政権の枠組みが決まる。

昨年の衆議院選挙でもやった、
「どの党に投票したらどうなる!」は
今年もチャンネルくららでやろうと思ってる。
1週間以内には配信予定、乞御期待!

さて、今日は
「国家社会主義」とは何か?
私は偽装保守の典型例として使っているのだけど、
歴史的に存在したし、根拠はある。

ある政党を事例に9つの特徴。
まず結論だけ列挙。

1.社会主義の共通理解は、資本主義と共産主義の中間。
2.やたらと愛国心を絶叫する。
3.排外主義を煽る。そのすべてが嘘ではないが、一部陰謀論。
4.2と3によって、極右や保守に見えるが、実は保守どころか極右と親和性が無い。
5.経済はバラまき。国民の熱狂的な支持が得られるなら、なんでもいい。ポピュリズムに見える。
6.健康と環境にやさしい政策。スピリチュアルが入る。
7.政権が熱狂的な支持を得られたら、自由を制限し始める。
8.政府権力による統制と経済に移行する。
9.実は偽装保守の左翼。

さて、どこの政党のこと言ってるでしょう?

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続きは倉山塾メルマガで。18時配信
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「国家社会主義とは何か(倉山塾メルマガより)」への1件のフィードバック

  1. 上記の意味での国家社会主義ではないですが、日本という国は、戦時中は統制経済で、戦後も国や政府による一部の国有化だけでなく、民間企業も護送船団方式で会社組織を介して国家社会主義的なことをやっていたのかなと思えます。
    それは会社人(社会人とは会社人のこと?)にあらずんば人にあらず的な価値観にあらわれて、まるで国が企業に最適化された日本社会(会社組織が社会のすべて)の構築を進めているかのようでした。(会社社会から排除されたらカノッサの屈辱のような年功序列の仕組みや、現役世代の一大決心として使われる「脱サラ」という言葉も)

    安倍さんの祖父の岸信介は国家社会主義的な政策を満洲国で実験して、それを戦後に日本に持ち込んだという話を聞いたことがありますが、真偽はともかく非常に興味のある話です。

    noteで、Y Combinator 創始者のPaul Graham という人のエッセイをたまたま見つけました。そこには戦時中のアメリカから1990年代にかけての時代の変化が書かれており、中には昭和から現代の日本社会を彷彿とさせるものがあります。

    ”19世紀末に始まった企業の集約化と寡占は、20世紀の終盤まで続いた。第2次世界大戦の終わりまでには「経済の主な業界はみな、政府の認めたカルテル構造か、少数の企業による寡占状態となった」と、マイケル・リンドは述べている。”

    ”消費者にとって、この新しい世界は、どこに行っても同じものが手に入るけれど、選択肢は少ない世界となった。(中略)この傾向の最も重要な事例は、テレビ放送だ。選択肢はNBC, CBS, ABCの3つ。あとはインテリと共産主義者しか見ないPBS(公共放送)。3大ネットワークの放送する番組は見分けがつかないほどそっくりだった。同じにならざるを得ない要因が3つもあったのだ。もし大胆な試みに取り組もうという番組があったとしても、保守的な地域の系列局が止めに入る。さらにテレビは高価だったから一家に一台だけ。家族全員で同じ番組を見る。だから番組は、誰が見ても大丈夫な内容でなければいけなかった。”

    これはまさにオールドメディアそのもの。ただ保守的ではなく”楽しくなければテレビじゃない”でしたが。

    ”大企業は、私たちを消費者として平準化した。それだけではない。働き手としての私たちも平準化された。会社は、従業員の見た目や態度物腰を一つの型にはめこんだ。”
    ”市場価値に見合う報酬を得る究極の方法は、自分の会社を設立して自営業になることだ。現代なら、向上心のある人にとっては当然の話だ。しかし、20世紀の半ばにおいては、考えられなかった。それは、自分の会社をつくることが野心的すぎるからではなく、向上心が足りないように思われていたからだ。私が子ども時代を過ごした1970年代になってもなお、野心とは、いい学校で十分に教育を受け、いい会社に入って順調な出世を目指すことだった。個人の社会的地位とは、すなわち、所属している組織の社会的地位だった。”

    →皆同じにしようとか一流大学・一流企業というライフプランの考え方は、日本だけではなくアメリカにもあったのだと。日本のほうがより徹底的ですが。

    ”競争を阻害するような政策は、メリットより害のほうが多いことに、政府も気づき始め、カーター政権においてそうした政策を転換しはじめた。この政策転換は「規制緩和」と呼ばれたが、これは本質をかなり狭く捉えてしまっている。これは実は「非寡占化」であり、業界から業界へ広がった。”

    →減税派は、まさにこの段階だが、政府はいまだに気づいていない。80年代に国鉄を民営化する流れができたが、さらに規制緩和に踏み込むタイミングだったのかもしれない。

    再分断 The Refragmentation

    ttps://note.com/hoshinomaki/n/n77c7df31ffa1
    ttps://note.com/hoshinomaki/n/n340bd39033d7

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