女子プロレスラーの木村花さんが、ネットでの誹謗中傷を苦にして22歳で自殺したとの報道があった。
昔、ラッシャー木村が悪役時代、狂信的な猪木ファンが毎日家まで押しかけて嫌がらせをして、ペットの犬が死んでしまうという事件があった。
ちなみに、あのアントニオ猪木さんですら、リングでは「好きにヤジってください」と言いながら、「本当に傷つくのは言葉の暴力。しかも大勢に大きなメディアで一斉に言われると傷つく」とおっしゃっていた。
昔から狂信者のやることって、変わらんなあとも思う。
故人のご冥福をお祈りします。
ただ、人前に出て表現をする以上、叩かれるのは覚悟の上。心無い誹謗中傷なんて、勲章くらいに思わなければ、やってらんない。
確かに私は言論の世界に生きていて、何人も殴ったが、自分で殴っておいて「殴らないでください」と言った覚えは一度もない。必ず「殴っていいから、こっちにも殴らせろよ」と言っている。
世の中には「素人には手を出さない」とか綺麗ごとを言っている論者もいるが、SNSの時代になんで匿名で好き勝手拡散する奴にそんな特権を与えなければならないのか。
素人だろうが、言論の自由を行使したら、その瞬間に反論されない特権は放棄していることを自覚してもらわねばならない。さもなければ、そいつだけ言いたい放題やってよい特権を持つことになるので。
さて、木村花さんを事例に、「安倍首相を個人攻撃するな!」と拡散している、愚かな応援団がいる。
バカか?
安倍晋三は、どんなに頼りなく見えても、一国の最高権力者だぞ?
しかも日本の総理大臣は明治以来、選挙で負かして辞めさせるという選択肢がほとんどない以上、実質的には本人が辞めると言わない限り辞めさせられないような制度になっているのだから、それで「総理大臣を個人攻撃するな」と言われても、「安倍首相を永遠に辞めさせるな」と言っているようにしか聞こえない。
憲政史において、与党反主流派や野党、そして国民世論が総理大臣を個人攻撃するなんて、当たり前の話。昔の権力者は、暗殺されたり、家を焼かれる覚悟で政治をやっていた。もし安倍首相が応援団の「安倍首相の個人攻撃をするな」との主張を聞いたら、「俺はそんなヤワな人間では無い」と叱り飛ばさなければいけない。マトモな人間が過保護な母親を嫌うのと同じ。この7年、安倍応援団の跳梁跋扈は目に余るが、ああいうのにそれなりの待遇を与えている時点で、安倍首相は相当なマザコン体質であると断じざるを得ない。
そもそも、安倍応援団は検察庁法改正反対の声をあげた芸能人に個人攻撃をしてなかったのか?「芸能人は黙っていろ」だの、「勉強してからモノ言え」だの、「お前、中卒のくせに」だの。自分は言論の自由を行使しながら、安倍批判の言論の自由は認めない。
それでいて、「お前ら法務検察のこと、わかってんのか?『検察庁の近現代史』に書いてあることくらい、分かってんだろうな」と反論されると、「そんな勉強する時間は無い」とか言い出す。一応、プロを名乗る人間すら。そのダブルスタンダードの根拠、何なんだろうか。
私は、去年の参議院選挙以来、消極的な安倍支持から積極的な安倍批判に転じてからは、「安倍首相を憤死させる」つもりで言論をやっている。
安倍応援団の諸君も、芸能人の皆さんじゃなくて、倉山満にかかってくれば?
ということで、玄人限定。倉山満より法務検察に詳しい人、いつでも相手にしてあげるよ♪
と言っても、かかってくるわけがない。
なぜなら、今の安倍応援団は、「ネットに真実があると信じている善良な保守」を食い物にして商売するのが商売であって、日本の運命なんかどうだっていいから。ましてや自分の言論の正当性なんか、最初から一顧だにしていない。その場その場でテキトーに受けることを言って稼いだ奴が勝ちと思っている。
「目を覚ませ」と言っても、新興宗教の信者やオレオレ詐欺に引っかかる人間が、それで目覚める訳が無い。
ただ、何度でも言っておく。
一連の検察問題に関して安倍首相を庇っている言論人は三種類。
一、パーフェクトなバカ。
→放置。
二、ポジショントークを気取るバカ。
→同じく放置。
三、門田隆将
→門田さんはさすがに法務検察のプロなので絶対に勝つ自信は無い。ただし、『HANADA』の論稿を見たけど、フルボッコにする気で行く。この人とは、「命のやり取りをしたい!」と思わされた。
言論界には血と屍が足りない。足りなさすぎる。
ツィッターで
毎回” 目を覚まして” ” 一人一人が考えて”
と目覚めない方相手に呟いている
倉山塾生の一員です.
議論の前提の” 前提” の差がありすぎて
疲れてしまいます.
世の中は本当 日本は特に しかも
至るところで ” 盲信” 信者ばかりです
わたくしも未熟ですが
血と屍 なるほど そうかもしれません.
未熟なりに劣らない自信だけはあります
今後共に宜しくお願い致します
ツイッターで倉山さんと上念さんの意見の相違を気にする意見が散見されてきました。なにか良い案はないでしょうか。
むしろ、なんで一致しないといけないのか、そっちの方が気になるけど。
倉山さんは倉山さん。
上念さんは上念さん。
それで、なにか不都合が?
じょうねんさんは塾長から見たら3つの内どれに当たるの?
獄長(あえてこの名称で呼ばせていただきます)が二っぽい言動なのが…
まあこの件に関しては距離取ってます。
私の好きなアパレル関係の方が言っていたのですが、「正解主義」というものに陥っている人が多いのではないでしょうか。
要は、学校のテストのように、ある問には必ず絶対的な「一通りの正解」があると信じている。
そして、チャンネルくららの出演者は必ず「一つの正解」を提示してくれるはずだと。
そしたら、「二通りの答え」が提示され戸惑ってしまう。
倉山塾長ご自身は決してそう望んでおられないと思うのですが、ある意味チャンネルくららに依存してしまっている方もいるのではないでしょうか。
hisa様が別記事でもコメントされているように、他力本願になってしまっているのかなと。
「自分の頭で考える」
言うは易く行うは難しですね。
一読者様、凄いヒントをありがとうございます!「正解主義」ですか! そして「chくららへの依存」。そうだ、他の保守系論客がダメそうだとなった時点で、新たな依存先をくららファミリーに求め出したっていうことか! 凄く的確なご指摘ですね!
正解・不正解の二元論思考だと、いつまで経っても前に進めないんですけどね。小学四年生でも分かり易い勧善懲悪のストーリー立てみたいな?
アタシが好きな科学では、科学者は正解か不正解かなんて判らない中で研究を重ね、「新たな解」を導き出します。違う遣り方で同じ結論に達することもあれば、別々の物だと思っていた新発見が、実は表と裏の関係にあったり(状況で物質の状態が変わって見えるだけとか)。医薬品だったら、全く違うアプローチで、同じくらいの治療効果を上げられるものが複数種類、開発されたりとか。
既に用意された正解を、誰かに与えてもらうっていう意識の人間は、人生の主導権すら、他者に売り渡しているのでしょう。だから騙され続ける。でも、それって楽なんですよね。考えないで良いから。奴隷根性って言うんです。そういうの。
ふわふわ様、コメントありがとうございます。
いや、本当は私も他力本願になる気持ちはわかるんですけどね…。
そもそも、言論のプロは本業で忙しい一般人が到底読み込めないほどの本を読み、時には取材をして、まさに命を懸けて知見を得るからこそ、プロの発信するものには価値があるわけで、さすがに素人にはマネできません。
ただ、素人なら素人なりの「審知眼」とでも言いましょうか、数ある意見を「相対判断」して、どの意見が最も説得力があるかを見極める力くらいは持ちたいものです。
常に一つのグループや一個人の意見を「絶対視」するのではなく、時には異なる意見にも触れて「相対化」してみるというのが、素人であっても最低限努力すべきことなのではないかなと今回の件で強く思いました。
ニーチェの言う「超人」の域には達せられなくても、せめて「奴隷」からは脱する。
そういう一般人が増えた時、言論界も変わっていくのかもしれませんね。
門田さんの論稿は何月号ですか?
読みたいです。
HANADA6月号読みましたけどそれっぽいのがなかったので
7月号に門田さんによる「検察内部の”暗闘”が生んだ喜劇」
という記事があるので、そちらではないでしょうか。
hanada7月号です。
正しいことと正しくないことって誰が決めるのですか?
ポジションを決めた上での「正しい」と「正しくない」を言うべきです。
最低限、意図的な嘘を流してはいけないですよね。
「正解主義」1つの答えを求めてしまうのは役人気質が出ています日本人の悪い癖のように感じます。倉山先生やくららは材料を提供してるだけで答えは自分で探さないといけません。勉強とは自分の中に取り込んで活かすことではないでしょうか。
全てではありませんが上念氏やKAZUYA氏の発言を聞く限り今回の件は”検察法改正、それ今やることですか?”だったと思います。
そんなに官邸を擁護してましたかね?
検察は黒川氏を立件しないんでしょうか