昔、三木武夫という男ありけり。
昭和四十三年、佐藤栄作という最長不倒政権を築く総理大臣に対し、「約束を破った!」と総裁選挙において挑戦状を叩きつける(何の約束かは諸説あり)。誰もが勝ち目がないどころか、二位にもなれず、最下位の三位、しかも百票もとれまいと見られていた。その時に言った一言!
「男は一回勝負する!」
日本中が感動し、百七票で二位。その存在を知らしめた。
昭和四十五年、さらに権勢を強め、誰もが立候補を取り下げ、恐れおののく佐藤栄作に対し、再び挑戦状を叩きつける。その時に言った一言!
「男は何度でも勝負する!」
日本中が呆れたが、百十一票を獲得。その存在を知らしめた。
昭和四十七年、佐藤後継をめぐり、田中角栄と福田赳夫が激しく争う。角福戦争と言われる。その時に言った一言。
「男は勝つまで勝負する!」
世間は百億円ばら撒いたといわれる角栄の金権買収と、福田陣営から寝返った中曽根康弘に注目していたが、三木も田中を支持する条件として、ちゃっかり副総理の地位を得ている。政策協定というものもしたらしいが。一昔前にムネムネの恫喝が話題になったが、三木の恫喝に比べれば可愛いものである。ムネムネはしょせん「ミニ角栄」だが、三木はその角栄本人を毎回恫喝して、最後は塀の中に叩き落したのだから。
昭和四十九年、田中後継をめぐり、三木も立候補。この時に三木は人生最大の恫喝。
「自民党をぶっ壊してやる!」
どこかで聞いた台詞である。本当にこう言った訳ではないが、実際に三木は自民党を脱党、野党(民社党の春日委員長)と連立政権を樹立する工作をしていた。それを受けて福田赳夫に言ったとされる台詞が、
「自分が脱党すれば数十人はついて来る。それで自民党は終わりだ。君はどうする?」
これに脅えた福田、三木に政権を譲っているのである。
以上、「官僚たちの夏」と「総理の指南役 松野頼三」の項の予備知識でした。
再び自民党へ。一回喧嘩に負けたぐらいで縮むな!みっともない!野党第一党が健全化しないと、国家国民はもちろん、与党にとっても不幸なことは、自民党が一番良く知っているではないか。こういう時こそ、総裁に名乗りを挙げる政治家が求められる。
こんばんわ。
三木武夫さんはすごい人ですね。
そのようなことを言っていたのですか。
私は当時生まれていないので、良く知らないのですが。
しかし、そのようなことを言っていても、開き直り、
というか、今の政治家にはないものをもっていると思います。
面白くて、笑ってしまいました。
さすがに田中角栄に「政治のプロ」と評されただけはある男ですね。
信念もすばらしいですが、その政治力にも感服します。
うーむ。別に三木武夫を褒めようとは思っていなかったのだが。。。
問題は今の自民党のだらしなさである。
ちなみに、三木って機会主義者では?
某側近が「あの人に、たいした信念はない」とおっしゃっていました。
そういう取材結果でウラをとっています。
本当、自民党1回負けたくらいで、あたふたするな!
書籍を例に考えると、
時代にマッチしたベストセラーと、
時代を超えるロングセラーがあると思う。
今回、民主党がベストセラーを出したため、自民は大敗したのだが、
実はそれは大きな問題ではないのではないか。
それよりも問題なのは、自民党が、
ロングセラーとなるだけの俯瞰的・普遍的世界観を示せなかったことだ。
国民に示す新しい時代を創るための世界観を醸成していないのか、
単に示せなかったのか…
目先の利益に右往左往する国民と一緒に、右往左往せず、
真性保守の王道を突っ走って欲しいと願うばかり。
確かに、三木武夫は「政策的信念」はなかったです。
時と状況に応じて巧みに使い分けていたと思います。
そのあたり、戦前派の党人は共通するところがあります。
要は、大勢につくにはどうすべきか、言いかえれば主流派として
立ちまわれるようにするにはどうすべきかで動いています。