日本維新の会には「変態政党」を脱する改革を期待する

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私が支持政党を選ぶ基準は、「憲政の常道」を実現する意思と能力があるか否か。
逆に「変態政党」は支持しない。
「憲政の常道」の反対語は、「憲政の変道」「憲政の変態」で、
「変道内閣」「変態内閣」の語も使われた。
たとえば加藤友三郎内閣は、総理大臣となった加藤海軍大将の人格を批判する者など皆無だったが、その内閣の基盤が選挙によって示された有権者の意思と関係ないの一点で「変道内閣」「変態内閣」と呼ばれた。
政界実力者だけで政治を壟断するな! 大正時代は、こうした批判が存在したので、加藤内閣成立からわずか2年後に「憲政の常道」が実現した。
もっとも、その後の二大政党の政治は、「悪夢の民主党」の比ではない取り返しのつかない失敗をしでかしてしまったが。
1955年以降の憲政史において、我が国の不幸は「マトモな野党第一党」がなかったことだった。いくら自民党の無能と腐敗を批判しても良いが、それ以上に歴代野党第一党を批判しなければ不公平となる。
 
日本社会党=意志も能力も無い。
新進党=意志だけはあったが能力が伴わなかった。
民主党=意思があり、政権交代を実現した。そこから後の罪は重いが。
民進党=社会党と同じ。
立憲民主党=口では意思を示していたが、行動がまったく伴っていなかった。
 
この中で、一番マシなのが民主党となるのが日本人の不幸。
特に罪深いのが最近では立憲民主党で、口では「政権奪取」と言いながら、行動は「野党第一党死守」でしかなかった。
結果、日本人はいかに自民党に不満があっても、自民党に投票するか棄権するか(それも自民党への承認と同じ)しかなく、選挙の意味がない状態に追い込まれていた。
 
それを今回の衆議院選挙の結果で打開する道筋が見えた。
有権者は自民党と立憲民主党の議席を削り、日本維新の会に公明党を上回る議席を与えた。
これは「マトモな野党第一党が欲しい」という有権者の悲願に他ならない。
「マトモな野党第一党」とは、「政権を担う意思と能力を持つ政党」のこと。
日本社会党、民進党、立憲民主党には「政権を持つ意思も能力」もなかった。
そうしたふざけた系譜の政党である立憲民主党には、有権者から鉄槌が下された。
さて、この状況で最もモノを考えねばならないのは誰か。
日本維新の会に決まっている。
そのやり方はどうであれ、「次の総選挙で自民党に対抗できる野党第一党の地位に成長する。つまり自民党にとって代わる政党に成長するには何をしなければならないか」を議論するのが、党大会だったはず。

これまではともかく、今後は「この人を総理大臣にする」という党首を選び、それに付随する体質改善を行わねばならなかった。
なるほど人事は見事で、馬場共同代表、藤田幹事長、音喜多政調会長、柳ケ瀬総務会長と、立派な方々の名前が並ぶ。
しかし創業者が「国政維新は大阪維新の下部組織だ」と暴露してしまった。つまり、二大政党制とか自民党に対抗できる成長させるなんてのは二の次で、大阪の地方議員の利益に奉仕するのが国政維新だと世間に知らしめてしまった。
不幸中の幸いで一般には注目されていない。しかし、今回の総選挙で維新に期待した人たちには自分たちの正体を暴露してしまったことになる。「私たちは社会党や立憲民主党と同じような存在です。55年体制の打破とか難しいことは期待しないでください」と。
最大限に弁護しても「自民党に対抗する政党に成長するのは、まだまだ先です」と言っているに過ぎない。
私の言葉で言えば、日本維新の会は「憲政の常道」を実現する意思を持たない「変態政党」であると宣言したに等しい。
ちなみに「次の選挙は勝たなくていい」は枝野幸男の常套句。衆議院選挙で本当に過半数の選挙区に候補者を立てる力があるかどうかはともかく、その意志を放棄するなら単なる「変態政党」にすぎない。
日本維新の会には、つくづく呆れた。
ただし、維新に所属する国会議員個人には期待している。
私も今までだって、立憲民主党そのものは大嫌いで幹部連中には一切近づかなかったけど、あの党のマトモな人たちとは仲良くし、褒めるべきところは紹介してきた。
維新に対しても同じ。維新がここまで問題を抱えているとは薄々気付いていたけど、今回の騒動で明らかになった。
ならば改善すればいい。
今回、世間に対して明々白々にした事実は、
「日本維新の会は大阪の市議府議が支配する政党であり、
他は国会議員も含め支配される側である。
有権者はそれを承知で投票せよ」
となる。
これすなわち、「日本維新の会が変態政党である」との自白である。ならば、この体質を改善するしかない。
国会議員の先生方は苦労が多いと思うけど、「変態政党」を脱し、「憲政の常道」を実現するべく改革を期待する。