政治の世界では多数派が一瞬にして少数派に転落することもあるし、少数派が多数派になることもある。
まず、多数派が一瞬にして少数派に転落した例。
★郵政選挙
綿貫民輔、亀井静香が自民党から追放される。
その瞬間、大派閥の領袖から少数野党を率いる羽目に。
★加藤の乱
党内第二派閥領袖の加藤紘一が、野中広務幹事長の工作で15名の弱小派閥に転落。二度と復活できず。
小選挙区制は、二大政党で反主流派を作りにくい制度だから、こういうことが露骨に起きる。
だから野党第一党が真面目じゃないと困るし、与党が失政を犯した時に野党第一党の罪は重い。私はいくら安倍批判をしても、それを許している民進党~立憲民主党の方が罪が重いと言い続けている。
ちなみに中選挙区制の時代でも、田中角栄は竹下登に派閥を乗っ取られて政界引退だし、岸信介や佐藤栄作は首相を辞める前後に自身の派閥が解散に追い込まれている。
次に、少数派が多数派になった例を時系列で遡りで。
★二階俊博
09年総選挙で二階派は自分以外全員落選。二階は参議院2人を連れたった3人に落ちぶれた派閥を伊吹派に身売り。ところがいつのまにか二階が領袖に。今や幹事長として首相を凌ぐ権勢。
★民主党
96年総選挙では50人の野党第二党。野党第一党は小沢一郎率いる新進党。ところが新進党分裂で民主党が野党第一党に。その後は政権に。
★小沢一郎
少数派になったり多数派になったり忙しい。
ちなみに古い話。
★三木武吉
バカヤロー解散で、与党自由党を出ていく。
ところが党首の鳩山一郎が「自由党に帰る」とか言い出す。
武吉ら残留組は8人に。ところが、鳩山らは自由党で干しあげられ、一方の武吉らは「8人の侍」と賞賛され世論の人気。
そして武吉は倒閣と野党再編を仕掛け廻り、遂には巨大野党日本民主党を結成。長期政権だった吉田内閣を倒す。
現代においては、小選挙区制なので、多数派が少数派に、あるいは逆が突如として起こりうる。自民党の05、09、12年の総選挙での議席数は「大勝→惨敗→大勝」なので。
小選挙区制は風、つまり民意の動きを反映させやすい制度。そこで大事なのが、一に党首、二に政策となる。
与党が増税、野党第一党も増税。しかも野党第一党党首が魅力のない党首ならば、国民は絶望するしかない。
ならば、「魅力ある党首が減税を掲げる」という第三党が必要なのではないか。むしろ未来の多数を獲得できるには国民に選択肢を提示し、「自分たちは政権を担う意思がある。選挙目当てで野党第一党で満足する気はない」と明確に示す必要があると思う。
実は野党がバラバラなのを解決するのは政党合併ではなく、選挙区調整。枝野路線だと維新やれいわを最初から排除しているので、野党が一つの塊になる話でもないし、党首に魅力がないし、最後まで減税に抵抗する。
国民は与党に批判を向けつつも、野党にもっと批判を向ける。そして建設的な要望をする。
昔と違って政治に対して黙っていると、暮らしは悪くなるばかりなので。
最後に三木武夫の、その場で聞いた人すべてが涙した「雨天の友は真の友」演説より。
確かに今日の我々は国会の中では少数派だ。今から我々は負ける為に戦うことになる。しかし、国会の外では多数派だ。国民の声を信じて、明日の勝利の為に戦おうではないか。