「大学では教えられない歴史講義」カテゴリーアーカイブ

ではどうすればよい?

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 総選挙は目先の現象。皇室の未来は国家の本質である。

 さて、ではどうすれば良いのか。具体的には皇室典範を何らかの形で改正しなければならないのだが、まずはどうするかを考えるのが先決である。

 結論は二つあるが、話の前提でもあるので、最初にひとつあげておくと、現在の制度のままだと、仮に秋篠若宮(悠仁親王)がご即位あそばされたとき、

 皇族は一人もいなくなるのである!

 

 その一、女帝・・・絶対の必要がない。現状では方法も難しい。

 八方十代の先例がある。古代以来の不文律として、すべての方々が生涯未亡人か独身を通された。配偶者が誰になるかによって、争いが起きるからである。後桜町天皇などは、現代人には想像もできないほどの無私の人生を歩まれているのである。戦後民主主義の特徴のひとつとして自由恋愛があるが、そもそも天皇及び皇族は義務ばかりで自由などないのである。恋愛も結婚も家の問題である。さらに「生涯独身で恋愛もせずに生きよ」などというのは、臣民として相当の覚悟がいるはずなのだが、誰がどのようなつもりで言えるのだろう。余程、人格高潔な方がお願いに上がるのだろう。

 古代以来の伝統を変えて、女帝に配偶者がいても良いことにするとしよう。では、その配偶者の資格はどうするのか。諸外国のように皇族に限る、という方法は採れないのである。民間人ならば、その方は陛下なのか、殿下なのか。いずれにせよ、どのような資格で尊称を受けることができるのか。

 

 その二、旧皇族の皇籍復帰≒宮家創設・・・最初に考えるべき。

 先例は何度かある。特に最近では、閑院宮家創設により皇統断絶の危機を逃れた例がある。今上陛下の男系を直接たどれば閑院宮家御出身の光格天皇にたどりつく。

 マッカーサーなる極悪人のせいで十一もの宮家の方々が皇籍離脱を強要され、そのせいで本来は皇族であられる方々が「旧皇族」と呼ばれるのが現状である。そもそも、対連合国講和条約発効の時点で、皇籍離脱の遡及的無効措置なり皇籍復帰がなされていなければならなかったのである。この一事をもってしても、当時の首相である吉田茂の罪は重い。

 この案に対してよく言われるのが「六十年たって、庶民としての生活を送られているので、好ましくない。しかも世代が変わっている」である。これへの反論は簡単。皇族としての自覚を維持して生きておられる方々、しかも家を挙げてご教育されている、およそ庶民にはできない責任感で実行されている方々もいます。すべての旧皇族の方々が庶民と同じと考える発想の方が不自然である。

 さて、問題。あえて更なる、世間であまり言われていない反論を紹介する。「誰もが認めるような方はご自分では遠慮なさる。むしろそうでない方がなりたがった時が心配」と。確かに方法論は難しいが、基準作りはできる。実はそんな膨大な予算措置になるわけでもないし。

 この方法が絶対に不可、となってから他の方法を検討し始めればよい。

 

 その三、側室制度・・・内外の理解を得られないので事実上不可能。

 昭和天皇の御世に廃止された。異国の例だが、小学校から第十夫人を連れてきた(それもどうかだが、他国の風習なので一応何も言わない)スワジランドの王様への、アメリカ人記者の糾弾的なインタビューなどを見るにつけ、痛くもない腹は探られるのは間違いない。

 外国人が何を言おうが知るか!という国粋的立場になっても、「何で天皇っているの?」とか「皇室関連予算高すぎない?」とか言いだしかねない日本国民の理解を得られるとも思えない。古風に中宮などと称しても、無理がある。

 これは正しいかどうか以前に、時局的に無理。現実論ではない。

 

 その四、女系・・・これを主張するのは何かの陰謀か無理解。

 女帝と民間人の夫との間に生まれた子供(男でも女でも良い)が天皇になると女系天皇。ではその民間人の夫は何者?例えば、足利義満くん(仮名)が、その息子の足利義嗣くん(仮名)を女帝と結婚させて、その子供を皇位に就けたらどうなるか。これを簒奪と言う。歴史に詳しくて、感性の鋭い方にこんな話をすると、身の毛もよだつ怪談である。本当にあったに違いない話だからである。※

 で、女帝の配偶者をどのように選ぶ?その一の議論に戻る。女帝は人として女性として途方もない試練を与えることだが、女帝の配偶者として適当な皇族がいないような段階で女系まで行くと完全に簒奪である。簒奪の意味を簡単に言おう。乗っ取りである。

※足利義満の皇位簒奪計画(正確には自分の息子を天皇にしようとした)に関して、歴史学者は最初は持ち上げてある日突然に否定し始めた。何かの陰謀を感じた人、鋭い!とだけ言っておきます。まあ、天皇家を乗っ取りたい悪い奴がいるということです。それが誰かはここでは伏せる。講演などで質問されたら、状況によってはお答えしますが。

 以上、皇室の危機とは、繰り返すが、このまま秋篠若宮がご即位されたとしたら、皇族がお一人もいなくなると言うことである。いずれにせよ、皇族が、その為には宮家があらねばならない訳である。なぜか。竹田先生が上手いたとえをされていたが、「無保険の車に乗りたいですか?」と同じ意味である。

 そしてもうひとつの結論。大事なことは若宮の御養育である。現在の法制と予算上、皇太子としての教育をお受けいただくのは難しい。皇室ありかた、先の話ではないどころか、悠長としていられないのである。

 しかし、言論の自由においても、礼儀とかモノの言い方はあると思う。多すぎるので一々あげられないが、最近一番腹が立ったのは嵯峨天皇のような賢帝を怠惰なオットセイとでも呼ぶしかない徳川家斉と同一視してたことである。しかもこの見立て、完全に間違ってるし。。。