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亡国前夜(11)―小泉改革の光と影

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(「亡国前夜」シリーズとは)
 真の民主制とは何か。国家本位の政党が二つ以上あり、選挙による政権交代が行われることである。かつて日本には、自国の歴史と伝統に根ざしつつ、国際標準(グローバルスタンダード)を凌駕する真の民主制が存在した。
 これを「憲政の常道」と呼ぶ。
 その意味で民主党の政権交代は外見的民主制にすぎない。歴史を検証すると、自民党を中心とする戦後民主主義はほとんどが外見的民主制であった。なぜなら、国家本位の政権担当可能な政党が一つしかなかったからである。ところがもはや民主党政権の成立と自民党の体たらくにより、一つもなくなってしまった。
 もはや日本は亡国前夜の危機にある。
 ではどうすれば良いのか。歴史を検証することで鍵を探そうという目論みである。

(前回までのあらすじ)
 竹下登は政権奪取以来死ぬまで、十ヶ月の短い例外を除いて、政官財界を静かに、しかし強く支配した。その間に、中国共産党のあらゆる場所への浸透が進行する。
 その、恐怖の超権力者、竹下登が死んだ。
 森政権の本質は、絶対権力者である竹下登の跡目争いである。親中派として権勢を振るう、野中広務・鈴木宗男・古賀誠に対し、隠れ親米派であった青木幹雄は小泉純一郎を担ぐ陰謀をめぐらし、反撃を開始する。

 さあ、いよいよ本題
 今回の主題は「親米は悪で売国奴か」である。

 森喜朗総理には資質が欠けた。新聞の首相動静欄は「今日の失言」と化していた。しかし、本人が辞めると言い出さない限り辞めなくて良いのが日本の総理大臣である。加藤紘一というピョートル三世を超える人類史上最大のヘタレが「加藤の乱」なる珍騒動を起こしたが、野中広務幹事長の「不信任案をかけつしてみろ。解散総選挙で勝負だ!」との恫喝に屈してしまい、テレビの前に釘付けになっていた日本中のサラリーマンのおじさんを腰砕けにさせた。この黒幕は青木幹雄だと言われたが、まさか誰にも根回しせずに酔っ払った勢いで宣戦布告し、テレビの前で恫喝されて屈服するなどとは予想もしていなかっただろう。

 それはさておき、消費税率か森内閣の支持率かということで、これでは数ヵ月後に控えた参議院選挙は戦えないとの空気が蔓延し、総理の森も「自分の一番都合が良い時期に都合が良い人物に譲ろう」などと考え始める。で、総辞職後、総裁選挙を行うことに。
 その頃の表向きの派閥とその内情は?

橋本派・・・野中広務副会長vs青木幹雄参議院幹事長
 竹下の跡目争いですさまじい暗闘。野中は派内の支持が得られず、橋本龍太郎会長が出馬。

 森派・・・小泉純一郎会長擁立で一枚岩。
 ついでに加藤の乱で冷や飯の加藤紘一派と山崎拓派も従える。実は基礎票が一番多かったのが小泉。

堀内派・・・古賀誠幹事長vs堀内光雄会長
 古賀は野中の最側近。小泉は堀内を切り崩す。結果、総裁選挙では自主投票に。

江藤・亀井派・・・亀井静香が出馬。弟分の平沼赳夫出馬説もあった。
 結果的に総裁選挙を降りて小泉を支持して騙される。

河野派・・・河野洋平&麻生太郎
 最初は親中派河野擁立もあったが、親米派麻生が出馬。
とりあえず候補を立てて派閥を結束させることはよくある。

高村派・・・高村正彦
 麻生を支持。事情は河野派と同じ。大島理森とか野田聖子擁立の話もあった。

 以上、各派とも米中代理戦争の様相を呈していたのである。平成十年総裁選と同様に全派閥が分裂などということにもなりかねなかったのである。

 さて、当時のマスコミは「最大派閥の橋本圧勝!」などと言っていた。私はどこをどうつついても小泉が勝つようにしか見えなかったが。

理由一。その最大派閥が分裂していた。
 当時の新聞、特に五大紙よりもタブロイド紙の『夕刊フジ』と『日刊ゲンダイ』を比べるとわかるのだが、野中の本音は最大派閥の支持+古賀派(堀内派)の支持で出馬したがっていたが、青木はかつての梶山のような「追い出し出馬」に追い込もうとしていた。

 例えば以下のやり取り。通訳つき。
野中「私の出馬は200%ない」・・・皆が推す状況を待つ。
青木「野中さんの出馬は300%ない」・・・誰がお前なんか推すか。出て行け。
野中「私は200と言ったが、300とは言っていない」・・・ふざけるな。今の権力者は俺だ。
青木「野中さんは健康に気を使い毎朝体操をしてしる」・・・お前の弱みなどいくらでもばらす。

 橋本派の幹部の中で野中以外誰もまじめにかつどうしていなかったのだから。村岡兼造など選挙の途中で橋本を候補から降ろす算段をしていたほどで。

理由二。議員も党員も、選挙に勝てる候補でなければ総裁にしない。
 民主党は昔の社会党と違い、政権奪取能力があるのである。領袖の談合だけで総理を決めて負け犬になりたくないのである。国会議員にとって選挙は死活問題である。小泉・橋本(・亀井・麻生)の中で、選挙に勝てる候補など小泉しかいないではないか。

 しかも前述の如く、実は国会議員の基礎票が最も多いのである。各派閥への切り崩しも大成功。党員票では圧勝。森総理が「党員票を三倍に数えろ」とか押し通したが、それ以上に橋本派の分断に成功。

 他にもあげれば色々あるが、とにかく圧勝。参議院選挙でも勝利し、安定政権を築く。
 私が考えたのは「三木おろし以来三十年ぶりに親米派の勝利」「小泉政権のうちに拉致問題を動かさねば」だった。三木の軍師で小泉の指南役の松野頼三も本懐だっただろう。
 小泉は三木武夫的に「親米」「世論に訴える」「反官僚の旗」「変な金の集め方をして足元をすくわれないようにする」をやりながら、田中角栄的に「自民党内多数派工作」「財務省は敵に回さない」「総裁選挙・総選挙で勝利する」を実行しているのである。

 再選の際も、何だか変に「小泉あやうし」みたいな意味不明な報道があったが、当時のマスコミ本気だったのか?嘘だとわかってやっていたのか?そんな報道をした人たち、馬鹿か嘘吐きである。では誰が代わりに総裁総理になったのか?亀井?少し考えればわかる話だったのだが。

 さて、小泉政権が安定した四つの理由
一、米国ブッシュ政権との強固な同盟。・・・桂太郎とテディー以来だった。
二、財務省の全面支持。・・・小泉も青木も大蔵族。「郵政三事業」「財投黙認」は大蔵歓喜。
三、参議院の安定。・・・人事でやりたい放題やった小泉も、青木の閣僚推薦名簿は丸呑み。
四、世論の支持。総裁選挙と衆議院総選挙で小泉は全勝。

 以上の条件の下で、連立を組む公明党も追随した。

 さて、小泉改革の光と影について二点。政治改革と対外政策について。

 政治改革は一時的にかなり進んだ。(もはや跡形もないが)
「憲政の常道」からすれば、総選挙に勝利した与党第一党の総裁を、衆議院総選挙で国民が承認した形ではある。しかし、期間が開きすぎていた。
 特に、二度目の総選挙では、一年後の総裁(つまり総理)引退を宣言して解散している。後を継いだ安倍内閣がああなるとは思ってもいなかっただろうが。
 現行憲法の条文を一切いじらないなら、参議院選挙と衆議院選挙を同日に行う寒冷にするべきだと思われる。
 総理任期中は与党総裁の任期を数えない、という党規も必要だろう。(今の民主党でそれをやれば大変だろうが)

 なお、それまでは当選五回以上(当選から十五年)で大臣だったのが、当選三回(当選後十年)でもなれるようになった。これは特筆しても良いであろう。

 対外政策では親米政策である。それが気に入らない自称ナショナリストも多いようだが、ではもう一つの選択は親中しかないのだが、それで良いのか?
「親米でも親中でもない自主独立」など今すぐやろうとするなら、チトーなみの覚悟がいるが。
そういうことを今すぐやれと主張する人は、「日本人同士の殺し合いをやれ」「人口の一割くらいの出血を覚悟しろ」と堂々と言うべきであろう。
 私だって、心の底からアングロ・サクソン崇拝の屈米ポチなど汚らわしいが、戦後日本には他に選択肢がないではないか。

 郵政民営化が米国への売国政策だと百歩譲って認めよう。真偽などどうでもよいと思っている。官庁の利権争いに外国が介入しようがしまいが。はっきりいってくだらないことで、賛成派も反対派もこんなことに政治生命を懸ける時点で、ものの優先順位がわかっていないのでは?と疑いたくなるような、はっきり言えば瑣末なことである。
 では、天下国家の本質論をしよう。それまでの田中・竹下派の親中はどうなのか。政治とは究極の選択である。

 まだイラク戦争に足をとられていない米国の後ろ盾があったから、小泉訪朝で五人の被害者とその家族が帰国できたのではないか。「小泉が馬鹿で無能だから五人しか」と言うのは勝手である。ではその前と後は?

 何より、「九.一七」で日本人は怒ったではないか。相当数の日本人が、実は平和と人権を説いた戦後民主主義など大嘘で、周辺諸国に脅され、謝りながら生きているに過ぎないのだと気づいたではないか。
 もはや「九.一七」以前の日本がどういう精神状態で如何に悲惨な言論状況だったかを忘れているのではないか。人間とはそういうもので、それを忘れずに記録、再現するのが歴史家の使命なのだが。

 ただ、この小泉政権の際にも永田町で勝っていただけである。拉致を金正日が認めてからの、日教組の「でも戦争だけは絶対に良くない」教育がいかにすさまじかったか。教師のはしくれとしてそれは実感したものである。

 愛国心に燃えるが難しいことはわからない小泉総理を、「女系天皇こそが忠臣の道ですよ」などと洗脳した連中の手口も恐るべしである。私は女系天皇には断固反対だが、小泉総理の愛国心は否定しない。
 その意味で小泉家は四代続けて真人間の家系である。特に二代目の純也元防衛庁長官の英雄的な功績は国史に刻むべきだと思う。純一郎だけが突然変異だとは思わない。ただ、「郵政法案も読んでいない」と公言する方に難しい話がわかると思わないので、やはりそこに付け込まれたと考える。

 目的は皇統保守、手段は親米から自主独立を考える私としては、この時機に敵が如何に反撃の機会を伺っていたかを検証すべきだと考える。それが今の愛国保守のなすべきことでは?

 言うなれば、文化闘争である。(文化大革命はやっては駄目)

 次回は一気に、安倍政権以降に。さて「ラスボス登場〜愛国者激闘編」はいつのことやら。