「大学では教えられない歴史講義」カテゴリーアーカイブ

「陛下の野党」とは

LINEで送る
Pocket

「陛下の野党」とは、与党だけでなく野党も国政に責任を負うべきである、という考え方である。形式的にだが、野党党首も国王(女王)から手当てをもらっているとのこと。

では実質的に大事なことは何か。野党も、予算案と法律案を作ることである。独力でこれをやれて、はじめて官僚機構を統御できるのである。そうでなければ知識と情報で優越する官僚に言いようにされるだけである。

日本では平成初期の政治改革でかなり法律(案)を作れる議員も増えてきたし、現に議員立法も増えている。もっとも、議員法制局の方は「条文まで作って来られる議員が多くて、細かい法律の勉強をされているのはわかるのですが、実際に何をしたいかわからないので、どうコメントしてよいかわからない場合もある」とおっしゃっていたが。

問題は予算である。予算は国家の意思である。

国民の税金をどう使うか、これを選挙で選ばれた国民の代表が決められないのであれば、その名に値しない。少なくとも民主政治ではない。このように、予算案と法律案を作る能力のある政党が二つ以上ないと国民に選択肢はないのである。

もうひとつ。政党間で基本政策や国家観が極端に異なってもらっては困るのである。少なくとも、イギリスでは労働党政権でも「アメリカの世界政策についていく」という方針は変わらないのである。翻って我が日本では軍隊を持つかどうかにすら合意がない。そんな国、他にどこがあろうや。

「陛下の野党」とは、野党であっても国家を安定させることにはかわりがない、という理念である。右でもなんでもなく、真ん中の思想である。

よく講演などで、「世の中を良くするために何をすればよいですか」と聞かれるのだが、政治家に「陛下の野党」という意識を持ちなさいと選挙民が求めるようになるべきでしょう、とお答えしている。知り合いにこの話をするだけでも違うだろうし。

問題は、陛下の与党すらあやしいことだが。(過去形にして、さらに強い未来形。)