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橋下徹氏メルマガ抜粋への感想~これは議論ではない

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昨日の橋下徹氏の有料メルマガ(当然非公開)の抜粋がプレジデントオンラインに掲載された。全文ではないし、せめて要約ならば意見を述べることができるので議論になるのだが、抜粋なので部分的にしかわからないので、あくまで感想。よって、これは議論ではない。

昨日の私の所見の要点。

一、もはや男系継承ができないとの証明
二、「日本国憲法の国民主権(民主主義)」の価値観の方が
男系継承に優先する根拠
三、国民の総意の判定方法
四、抽象的思考能力(ルールそのものの正統性の証明)

件の記事を読んだけど、どれも良くわからなかった。最も重要な点と思う四に関しては、やはり橋下さんは現状のルールにのっとって解決策を考える合理性はあるけれども、そのルールや裏付けとなる価値観の正統性については、思考の範疇外なのかなと思う。

特に最後の方の「文楽」の話は、個人の体験談としては「そう思うのかな?」だけど、論ではなく感想としか受け取れない。やはり具体的にしかモノを考えられないのかな、としか言いようがない。文楽に対する対処法としてそれでよいと思うけど、皇室を同じように扱っていいのかと言われると説得力はない。説得力がないという言い方が失礼なら、合理的根拠を見いだせないので私は説得力を感じない。

以下、個々にいくつか感想。

まず唐突に「歴史について色々な本を著している倉山満氏がフェイスブックで次のような批判をしてきた」といきなり出てくるけど、橋下さんのファンの方はこれでわかるのかなあ。それはよいのだけど、「批判をしてきた」って、別に橋下さんのツイッターにリプを寄せたとか、雑誌に寄稿したとかではないので、「批判をしてきた」って、かなり被害者意識が強い言い方だと思うけど。

その前に、
日本国民が天皇制を支持する際の「5つの立場」
という整理をしているけど、本当にこの整理が正しいのかどうなのかはわからない。ただ、そこを細かく言っても仕方がないとも思うけど。

私のことを「そもそも国民の敬慕の念など考える必要はないという立場だと思う」と述べられているけれども、かなり誤解を招く表現なので保留。橋下氏の理解が違っているとは思わないけど、その表現で第三者に伝えられた時に誤解を招きかねないので。

橋下氏は「天皇の人間性」を強調される論旨のようなので、ここはこちらも厳密に定義をさせていただく。「天皇ロボット説」に基づく天皇の人間性の否定には反対。よって、この意味ではむしろ天皇の人間性を強調する立場。文明国の立憲君主制と同じであるべきだと思っているので。

しかし、最近の東大憲法学で流行の「天皇の人権」論ならば反対。これを突き詰めると、「歴代天皇は聖人君子たれ!さもなくば、その瞬間に天皇制廃止」という論になりかねないので。

最後に。これ、橋下氏の要約か編集部の仕事か知らないけど、この切り取りは印象操作と思いたくなるので困る。

もちろん、上皇陛下がなされてきた言動には敬慕の念を抱くけれども、ではそれをやらねば皇室を廃止してよいかは別問題。

↓↓↓

 倉山氏が、天皇制・皇統を語るにおいて、延暦寺の不滅の法灯をたとえ話にもってきたときに、氏は天皇制がよりよく続くためにはどうすればいいのか、ということについてはまったく関心がないのだなと感じた。ここが抽象論で生きる倉山氏と、日本が現実によりよくなってほしいと考える僕の違いだと認識した。

(中略)

 そしたら倉山氏は、「なるほど、私も『国民から支えられない皇室が成り立っていく』とは思っていません」と言ってきた。そうなんだよ、だから国民に支えられるためにはどうしなければならないかを現実的に考えなければならないんだ。

↑↑↑

話が飛びすぎて、さっぱりわからん。(苦笑) これ、有料メルマガに誘導しようという営業戦術なのかもしれないけれども、論理が飛びすぎてて、橋下氏くらい有名人でなければ「どんなこと書いてあるか読んでみよう」とは思わない話の飛躍では?

私にとって重大なことを指摘しておくと、橋下氏に言われて「国民から支えられない皇室が成り立っていくとは思ってはいません」などと考えを変えた覚えはない。
少なくとも5年前には、その趣旨で一冊の本書いている。忙しい橋下氏に私の本を読めとは言わないけど、初めてこの文章を読んだ人が誤解するので、そのような事実は断じてないと指摘しておく。

以上、全体を読める環境に無いので反論ではなく感想しか言えないけど、誤解を招く表現が独り歩きしては困るので、述べておいた。

最後に。橋下さんにとって、皇室も文楽も同じようなものなのかなあ。もちろん、どっちに対しても無碍にしているとは思わないけど、変えていいものと変えてはいけないものは、現状で目に見えるものだけでは決められないはずでは?

なお、橋下氏は文楽を守ろうとした頑迷固陋な人たちと私を一緒に考えているようだけど、仮にその説明なら私は「文楽を守れ」と言ってきた人ではなく、橋下さんを支持したと思う。
しかし、皇室の問題を同じように扱ってもらっても困る。なぜなら違うものだから。
違うものを同じに例えられても論理的とは思えない。橋下氏の論理とはある価値観に基づいての合理性を語っているにすぎないので。

皇室と文楽を同じと考えてよいかどうか。その価値観が根底から違っていたら、解決策もまるで違うだろうし。

なぜ皇室と文楽が同じように扱ってなよいのか。その説明、メルマガの中であるのだろうか。単なる体験談だけに基づくなら、迂闊すぎるのでは? 別に文楽が軽いと言っているのではなく、皇室は他の何者にも例えられない重みがるのでは? という意味で。

「文楽」の部分に、「吉本新喜劇」を当てはめて読むと、とてつもなく違和感があったが、私が感じた違和感の正体はそういうこと。