極悪人を政府が“ちゃんと”死刑にする国へ

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最高裁が上告棄却 元少年の死刑確定へ
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120220/trl12022015050005-n1.htm

 有名な、光市母子殺害事件のこと。
 以下必要最小限のことだけ概略。

平成11年4月 18歳1ヶ月の少年・Fが、水道工事員と偽って家に上がりこむ。
        23歳の主婦を殺害の上、屍姦。1歳の赤ん坊も床に叩きつけるなど殺害。
        他にも色々惨いことがあるけど、書きたくないので略。
        当時のネットでは、「自分で殺すから刑務所から出せ!」と涙ながらに訴えた
        夫で父の本村洋さんが、「殺人予告」などと批判される。この当時のテレビで
        の人権派弁護士の発言は引用したくない。

平成12年3月 山口地裁、検察の死刑の求刑を退け、無期懲役に。
        山口地裁が本村さんにどれだけくだらない痛がらせをしたかも、略。
        被告は事実関係を全面的に認めるも反省の色なし。
平成14年3月 広島高裁、検察の控訴を棄却。やはり無期懲役。
        地裁とほぼ同様のよくわからない意見。
        「18歳を1ヶ月しかすぎていない」「更生の余地がある」などが理由。

平成18年6月 最高裁、高裁判決を差し戻し。
        (判断が間違っている。お前が死刑判決を下せ、の意味。)
        この間、弁護側があらゆる新論点を提出。被告のFも急に反省の色を示す。
        判決は良くわからんことも多いけど、とりあえず弁護側の主張は全面却下。

平成20年4月 広島高裁差し戻し審、死刑判決。マスコミは「勝った勝った」と大騒ぎ。
        弁護側、即日上告。
平成24年2月 最高裁、死刑判決。確定。(ただし法務大臣が執行するかどうかは不明)

 詳しくは、門田隆将氏の本をご一読されたし。日本で生きているのが嫌になれる。
 この事件だけで、どれだけの人でなしが登場したか。
 救いは、山口地検の検察官の言葉。
「これは勝たなければならない戦いです。100回負けても101回目で勝ちましょう!」
 当時、この言葉を聞いた時は「検察には日本の良心が残っている」と思ったものだし、今でも現場にはこういう検察官が少なくないと信じたい。
 門田氏も「裁判官は若くて勉強ができる人がなるが、検察官は年齢とか成績に関係なく勇気と正義感がある人がなる」と書いていた。確かに昔はそうだったのだけど、今はどうなのだろう。

 それはさておき、この事件を調べれば調べるほど「人でなし裁判官」のオンパレードに頭がクラクラする。
 その中でも、法律の専門家を前にこれを言ったらかなり批判されるだろうな、と自覚していることを書く。
 上の略年表を御覧あれ。

 私が一番指弾したいのが、平成18年の最高裁判決。
 結論から言うと、この時に最高裁は、

破棄自判、死刑判決

を下すべきだったと思う。
 つまり、そこでご遺族を開放してあげるべきだったと思う。
 案の定、その後6年も裁判が長引いたし。

 法律家の常識としては、
「一審、二審と無期懲役だったものを、最高裁が一回限りの判断で死刑を宣告するのは非常識」
「最高裁が高裁判断の誤りを指摘して差し戻した以上、被告の死刑は時間の問題。手続き上はむしろ最高裁の判断は妥当」
となるのは知っている。
 この事件に関してはかなり調べたので、細かい法律論は知っているけど、あえてしない。

 法律家が言いそうな法律論を全部踏まえた上で、反論。
前者に関しては
「そもそも最高裁に常識を求める時点で非常識」
「単に自分の責任で死刑を宣告するのが怖かっただけでしょう」
「かけらでも、“ここで死刑を宣告しないことが正義の実現に反する”などと考えましたか」
と言いたい。最初の二点は、文字通りの意味。
 問題は最後の「正義の実現」。英法の考え方ですな(英米法ではない。アメリカと一緒にするな)。
 こういうこと書くと、また「イギリスかぶれ」
「イギリスの刑事裁判なんて法律的にかなりいい加減」とか言われそうだけど、あえて言う。
 日本の裁判官は何のために、誰のために裁判をしているのだ?

 この点が後者の議論につながる。
 もう一度、略年表を確認されたい。
 事実関係などは最初から明らかで、本当に死刑になりそうで怖くなった被告が弁護士に知恵を借りて引き延ばしているだけでしょ。
 仮に弁護士の主張どおり「殺人ではなく傷害致死」だったとしても、何の罪もない母子二人を無残に殺しているには変わりないのだから、
「死んでお詫びしなさい」と言って、どこが悪いのかさっぱりわからん。
 そもそも、そういう事件という前提を忘れているのでは?

 最高裁が職権をもって
「地裁と高裁は馬鹿で根性なしだ。代わりに死刑を宣告する」
で何が問題だったのだろうか。

 まだ小ざかしい法律論を振りかざして反論してきそうな輩にさらに聞く。
 最高裁が差し戻し判決を下すまでに何年経っている?
 最高裁が差し戻してから何年経っている?
 合計何年経っている?

 7年、6年、計13年ですな。
 本来、長くても2年で終わる話だぞ。
 最初の7年でもおかしくないか?これは地裁と高裁がアホで根性なしで人でなしだからこうなったが。さらに最高裁が差し戻したのでさらに6年かかった。
 最愛の妻と娘を奪われた一人の男性の22歳から35歳までの人生をどう考えているのだ?
 台無しじゃないか。まったく罪の無い人間をここまでのむごい仕打ちをする日本の法手続きや裁判制度はどうなっているのだ?

 日本の法曹関係者は、犯罪被害者の遺族の気持ちに決着をつけさせてあげるという役割をどう思っているのだろう。
 検察の組織的腐敗が目を覆うばかりなのは重々承知している。
 それでも、この問題意識は、裁判官や弁護士よりも検察官のほうが持っているのは間違いない。
 もちろん、裁判官や弁護士の中にもマトモな人はいるに決まっているが。

 話を戻す。
 裁判官が「正義を実現する」などと本気考えるとおかしなことになるのはわかる。
 ただし、明らかな「不正義の実現」を回避することはできるのではないか。そのための法手続きは用意されているのだから、なぜその職権を行使しないのか、さっぱりわからん。
 今回の事件ほど事実関係と法解釈で争いが無い事件も珍しいのだから。
 争点はただ一点、「いつ、だれが、どのように、死刑を宣告するか」だけだったのだから。
 最初の地裁と高裁も罪が重い。
 しかし、だからこそ最高裁は己に与えられている職権を自覚すべきではなかったのだろうか。
 しつこく書くが、何で最愛の妻と娘を殺された一人の男性が、さらに苦しまねばならないのだ?

 以上、この話だけであまりにも長くなるので『だれころ』に書かなかったネタでございました。
『だれころ』の主題の一つが、「いつあなたが最高裁の被害者になるかわかりません」だったので、本当に戦慄する。被害者も浮かばれないし、遺族の立場になったかと思うと、
 こんな国には住みたくない、としか言いようがない。

 今日は最後まで絶望的な言葉で締める。
 どうせ半年以内には死刑執行されないのだろうけど。

 「けど」の後は、読者の皆さんが考えてください。

「極悪人を政府が“ちゃんと”死刑にする国へ」への0件のフィードバック

  1. 私がこのような事件で裁判員に選ばれたら、ためらわずに死刑を選択する人間でいたい。そして、最期まで死刑の重みを受け止めて生きて行きたい。生きるとは、そういう事なのだと覚悟するしかない。

  2. 全くその通りだと思います。

    許せないのは人権派と称する弁護士連中です。単に売名と金儲けのためにやっているだけでしょうに。

    ところで被災地の瓦礫処理問題にも似たような構造があると思いますが、被災地の生存権はいつ守られるのでしょうか。

  3. 倉山さん

    こんばんは。藤沢です。
    興味深く拝見致しました。やはりどこかで裁判官を辞めさせる事が出来る実質的な仕組みが必要なのだと思います。少なくともそれは今の国民審査ではないでしょうね。

    「けど」の後は…、
    私は諦めません!法律を生かすも殺すも変えるも結局は人間ですから。死刑執行についての法整備も必要なのだと思います。
    しかしそれにしても民主党になってからの法務大臣はひどい人ばかりですね。
    まず彼らを法廷に立たせたい…。

    これからも頑張って下さい!それではまた。

  4. こんばんは。
    この光市の殺人事件は高校生の時に「天国からのラブレター」という本を読んで知りました。そしてまだ、裁判が続いている事を知りました。なんでこんなに長い間、裁判を続けていたのか倉山先生の記事を読んで理解ができました。こんなに長い間遺族を苦しめたまま裁判を行い続けるのは、日本の裁判制度の大きな欠点です。間違いを正すことのできる人がいない。これからの日本が心配になってきました
    やはり決断力に欠ける事が問題なんだと思います。この事件にいたっては死刑判決を下してしまったとしても私は正しい判断だと思います。

  5. ご無沙汰しております。
    僕らの祖国に一日も早く「常識」を取り戻したいものです。
    「だれころ」にも記述されておりましたが、書かれていないものを大事に出来て初めて文明国ですし、これを成すには「常識」が不可欠ですから。
    次のご著書も既に準備中とのことでし、ご活躍嬉しく思います。
    次は、歴史通等に投稿されたの論文をまとめ、補記さたものをと期待しているのですが…。

  6. 佐伯さん
    こんばんは。藤沢です。
    お久しぶりです。またお会い出来て嬉しいです!お元気そうですね。

    責任を取るというのは、悪い事や失敗があった時には、その時点で一度は不利益を受け入れるという事だと思います。
    裁判官の不作為の罪、これに対して議会又は直接私達が責任を取らせる方法を考える事が、大切なのではと思っています。そのための根拠が、常識なのだと、私も思います。

    またこれからも宜しくお願いします。有難うございました。

  7. ギャハっハハハの国士舘講師自称日本一の歴史学者、政府声明文を全く知らなかったらしい。ギャハハハハハハハはハハハハハハハハと書いてあった。

  8. 藤沢さん
    レスありがとうございました。

    >お元気そうですね
    個人的なことで、物凄くバタバタしてまして、やっと少しゆっくり出来そうです。ずっと欠かさず拝見していたのですが…

    >そのための根拠が、常識
    法曹界、弁護士界の常識は、戦後、国民との乖離は著しく…
    どうにか、取り戻したいですね。

    では、これからも宜しくお願いします。

  9. 最高裁判所裁判官国民審査法の改正を行うべきと考えております。
    要点は3つ、
    *裁判官当たり10年に1回という審査期間を、4年に1回以内に改めます。
    *やめさせたい裁判官に「×」をつける方式ではなく、続けさせてもよい裁判官に「○」をつける方式に変更。
    *審査を受ける最高裁判所裁判官については、政見放送を義務付け。

    また実務的には、最高裁判所の裁判官の報酬を、法廷があいている時だけの日当式に変更します。

    法律から死刑をなくす前に、死刑を科す様な凶悪な犯罪が発生しない社会を目指すべきだと思うのですが。

  10. 倉山さん かしわもちさん 皆様

    こんばんは。藤沢です。
    いつもお世話になっております。
    かしわもちさんのコメントを興味深く拝見致しました。私の中では、やるのであれば信任か不信任かの何れかに○をつける形かと思っていましたが、もう一段進んだ形で驚きました。

    しばらく考えていたのですが、併用するか否かはともかく、別の案に至りました。ご意見・ご指摘頂ければ幸いです。
    『現在の裁判員制度を、刑事裁判のみならず民事裁判・行政裁判にも拡大する』
    というのが良いのではと思っています。

    勿論、実際には運用その他、問題が多い事は承知していますが、国民の声を直に反映させるという点では、この方が良いのではと、最近思っております。
    これはどちらかと言うと世論という形での間接的な方法ですが、期待しても良いのではと思っています。

    裁判官を辞めさせられるのは国民か議員かという事も大切なテーマかと思われます。一人一人の裁判官について国民が判断可能なのかという点については、意見が分かれる所かと思われます。人数が多くなってきた場合、私は否定的ですが。

    個人的には、別の問題が出る事は承知しておりますが、それでも議会にその権限を与えるのも一つの形かと思っております。現在も弾劾裁判の規定はありますが、この幅を広げるというのもありかと考えています。
    (話を広げて申し訳ありませんが、解散の無い参議院にこの役割を持たせられれば良いのではと思っています)

    話が二つにまたがって申し訳ございませんが、裁判官が何を考えているかを知る事は、政治家についてのそれと同じ位の意味を持っていると、最近改めて思います。社会の一員として、頑張って言い続けましょう!
    それではまた、宜しくお願いします。

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