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伊藤対山縣(3)―隈板内閣という悪夢―

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 遂に、元老は力尽き、大隈内閣が成立した。この内閣、「衆議院こそ抑えていたが、山縣以下の官僚閥の抵抗によって潰された」とされる。では聞こう。何をしたのか?実は何もしていないのである。陸軍大臣の桂太郎などは手ぐすね引いて待ち構えていたが、何かをする前に憲政党が内部分裂を始めたのだから、何もしようがないのである。

 ここで日本近代史に少し詳しい人ならば、「なぜ元老は陸海軍大臣を出さずに、大隈内閣を組閣困難にさせなかったのか」と疑問に思うだろう。まあ、有名な軍部大臣現役武官制は次の山縣内閣で導入されるにしても、憲政党が陸海軍に知り合いが居なくて困っていたのに、なぜ助け舟を出したか?組閣すらできない奴らであるとレッテル張りもできたのに。

 理由は、そんなことをしたら、憲政党がどんな報復をするかわからないからである。衆議院の87%の超巨大政党!こんなものを敵に回す恐さ、教科書の民衆史観ではなく元老の立場になるとわかりやすいではないか。

 ただ今も昔も、憲法構造の問題点なのだが、「人の邪魔をするのは簡単だが、何かをしようとするのは難しい。」のである。だから最強の拒否権集団であった憲政党も、いざ内閣を組織しようとすると当事者能力がある訳ではないので、大混乱するのである。猟官運動が大臣の椅子だけでなく、各省の次官や局長にまで及び、霞ヶ関官僚機構の秩序が崩壊してしまうのである。

 そして所詮は大隈系と板垣系の野合なので、あっという間に仲間割れを起こしてしまうのである。ついでに外交路線でも、当時は米西戦争の最中で、米国に植民地にされそうなハワイが日本に助けを求めてくるのだが、これに外交辞令でなく本気で対応しようとしたのである。仰天したのは米国である。白人諸国中、欧州の五大国と違い、米国と日本は新興国どうし、最も友好関係にあったのである(※)。一番仰天したのは米国である。この時に米国は「日本の政権は今はマトモではないのだ」と思い直してくれたから良かったが、これがウィルソンやF.ローズベルトだったら、大変なことである。(鈴木善幸政権でも似たような事があったなあ)

 結局、大隈内閣は四ヶ月で自滅するのであるが、一々挙げていけばそれだけで一冊の本ができるくらい、どうしようもないことを連発していたのである。

 そして、山縣が板垣系と提携して組閣するのだが、軍部大臣現役武官制とともに導入したのが文官任用令の改正、すなわちキャリア官僚制である。実際以上に悪名が高い前者は敗戦とともに廃止されたが、後者はまともな人間なら誰もがその存在の無価値を知っているのにもかかわらず健在である。そもそも、キャリア官僚制とはあまりにもひどすぎる政党政治の腐敗から、行政秩序を守るために導入されただけである。明治32年(1899年)以来、今まで続ける必然性、実はまったくないのである。

 なお、伊藤はその頃は清国に居た。

※ペリーの砲艦外交に日本が屈し、無理やり鎖国をこじ開けられた、というのは、まったくの嘘。一部の特定の戦後民主主義者が、マッカーサーをペリーに見立てているだけ。これなど、間違った歴史観によって日本人が無根拠に自信を失っている典型例。いずれ詳しくやります。